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心を磨き、魂を鍛えるには、武道が良い

よく、「地頭を鍛えるには、どうしたらいいですか?」とか、「客観的なものの見方ができるようになるためには、どうしたらいいですか?」という質問を受ける。

そういうとき、「武道をやれば良い」と返答しようかと、頭によぎる。

私はまだ武道の稽古を始めて10年ほどしか経っていない、ポッと出の初心者だが、武道をやっていると、必ず共通して必要になることは、「これまでの全ての常識を捨てること」、「自分がこれまで当たり前だと思っていたことが、実は偏見に満ちており、それを捨て去って、正しい術を身につけなければ、技とはならない」ということであり、常に自分の内面と向き合うのだ。

自分にはどうしても嘘がつけない。
ズルをしても、自分は騙せない。
武道の道を志す上で、自分と向き合うことは避けては通れないのだ。

そんなわけで、私は自分を磨くには、武道を実践し、日々稽古するのが良いと思うのだ。

ただ、問題がある。
現代社会において、武道をする人は、現代社会における闇をそのまま引きずって稽古するのだ。
「自分のやり方、考え方がすべて正しい。だから、俺の言うことに従って稽古しろ」という指導をする指導者や先輩が、我が物顔で道場を占拠しているのが現状だ。
口先では、「いろんな考え方があるから、色々試してみると良い」とか、「私の指導だけが正しいわけではないから、色々やってみると良い」とかいう人もたくさんいるが、本音は傲慢そのもので、自分の小さなプライドを守るために如何に自分が正しいかを押し付ける傲慢の塊のような人間が道場にたむろしている。

剣道は、真の剣の道を捨ててしまっていて、西洋の勝ち負けを軸にしたスポーツと化してしまった。そこにはほぼ武道の魂は失われてしまったように思う。
空手も剣道と同様、勝ち負けにこだわる人のなんと多いことか。柔道しかりだ。
合気道は勝負こそないため、スポーツの要素はないが、勝負がないだけで、ひたすらにおのれの魂と技を磨くということは行わず、「俺が絶対的に正しい」という傲慢を人に押し付ける人が跋扈する世界になっている。

こんな中で、ではどれを人に勧めるか、となると、結局は何も勧めず、「武道をやると良い」という言葉さえ、飲み込んでしまうのだ。
これも、戦後の洗脳教育という負の遺産なのか。

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