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コーヒーブレイク:反抗的な子供ってどこにいったの?
筆者の幼少期、学生時代の頃、いわゆる「不良」と呼ばれる若者が多数いた。街のあちらこちらに反抗的な子供たちが群れを成して親や教師に反抗していた。反抗の度合いは様々な子がいて、とにかく教師の全てに反抗する子もいれば、教師の一部の行動に対して強硬に反抗する子などがいた。体罰がある程度容認されていたころで、必要最低限の体罰は許されるような雰囲気があった。体罰という教師からの抑圧があっても、反抗を続ける子らがいた。
筆者も「多くの大人は嘘つきだ」と思っていた。筆者は力も体力もなかったが、奴隷のように従うのだけは嫌だったので、「非暴力不服従」を貫いたものだった。不良と呼ばれる子らの中には、そんな筆者を教師と一緒になっていじめてくる者もいれば、筆者をかばってくれるような優しい者もいた。
不良と呼ばれる子らの中には、単に征服欲を満たすためだけに弱い者に暴力をふるっているだけの者もいれば、彼らなりの正義を貫き、社会悪と戦う者もいた。後者の不良は根はとても心優しく、強くたくましさを持っていたように思う。
振り返れば、現代にはそのような不良は何処に行ってしまったのだろうか。筆者もそれなりに様々な組織に属して来たが、下から上を突き上げるようなエネルギーを感じたことがなくなった。閉鎖的で抑圧的な社会が進み、何かに反抗するような人物が育たなくなってしまったのではないかと感じる。
子供は大人に反抗して初めて成長するように思う。子供が自分の頭で考えるようになれば、自然と様々なことに疑問を感じ、それが大人への反抗という形に現れるだろう。反抗するような原動力がなければ、自分の頭で考えるような土台が築かれることはないだろう。先生に言われたことを言われた通りにやる子ばかりが育ち、いつしか「不良」と呼ばれる子は絶滅してしまったのだろうか。
学生の頃から様々な異論や異議を唱えたことがない者が、大人になって教室や学校よりも大きな組織に属する社会に出て、会社などの様々な組織の中で果たして異論や異議を唱えることができるのだろうか。現在は本当にYESマンしか見なくなってしまった。
奴隷のように命令を聞いてくれる子供が量産されたことで「不良」と呼ばれたような子が絶滅したのではないだろうか。自分の頭で考えることのできない奴隷脳を持った大人が大量生産されるようになり、反論を唱えるようなものがほとんど存在しえないような世の中になってしまったのだ。
大人から社会に反抗し、間違っていると思うことにはどんどん異議を唱え、小利口にしている子供には「ちょっとくらい反抗してみせろ」と言うくらいがちょうど良いのではないだろうか。
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テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済
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