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死生観について語れるか?

人は何のために生き、何のために死ぬのか。それを答えられない大人で溢れかえっているように思う。特に何の目標もないが、ただ欲と野望をむき出しにして私利私欲を貪り、自己犠牲精神はゼロで、とにかく長く生き続けて甘い汁をすすり続けたい鬼のような人間があふれかえっているように思う。

筆者は別にいつ死んでもいいと思っている。別に、「死にたい」という意味ではない。愛する妻がいて、彼女を支え続けたいと思うので、出来るだけ生きたいとは思う。未成年の娘もいるので、彼女が独り立ち出来るまでは支え続けたいと思うので、そういう意味でも出来るだけ生きたいとは思う。だが、大切な者たちを守るためであれば、いつでも自らが犠牲になっても良いと思っている。

自分の子であれ、他人の子であれ、赤ちゃんや子供を抱くといつも思うのだが、私が抱くよりも女性たちが抱く方が赤ちゃんはとても穏やかになる。例えそれが実の母親でなくても、子供たちは女性に抱かれると穏やかな顔になる。古来、日本人たちは村社会全体で子供たちを育ててきた。そこで女性たちは皆が「お母さん」として赤ちゃんを育ててきた。そこでは「実の産みの母親かどうか」は大切ではないのだ。女性は女性の役割として、われわれの未来をつないでくれる子供たちを育てる「お母さん」としての役割が遺伝子に刻み込まれているのだなと実感する。そうすると当然、男性の役割は子供たちや女性たちを守り支える存在なのだと気づかされる。だからこそ、古代では男性が狩りという危険な仕事をしたり、戦争のときは男性が男性が国を守るために戦ったのだと思い知らされる。

筆者の祖父は大東亜戦争の末期に満州に出兵した。戦争の初期に出兵対象として身体測定を受けたところ、知人たちが皆、戦地に赴くこととなった中、祖父は体が小さくて病弱であったことから、兵役を免れた。しかし、戦争末期になって祖父に赤紙が届き、満州への出兵命令が出た。赤紙が届いた時に祖父は「私のような者にまで赤紙が来るということは、日本はもう戦争で負けそうなのだな」と直感的に思ったと語っていた。そんな祖父は終戦後、生死が不明で半年以上が経った頃に、ひん死の状態で帰還した。家族は皆、もう祖父が戦争で死んでしまったと諦めてしまっていたところ、ひん死の状態で家に帰ってきた。その後、祖父は数年間、寝たきり状態となったという。

そんな祖父が戦争から帰還してから筆者の母が生まれた。祖父が戦争から生きて還らなければ筆者の母は生まれなかったのだ。

祖父は気の弱い人で、鬼滅の刃であれば、我妻善逸というキャラから強さをなくして臆病さの塊にしたような人だった。そんな臆病だった祖父が命を懸けてくれて守ってくれたおかげで祖国日本が残り、そして祖父が生きて還ってきてくれたから筆者が生まれた。そんな過去を知ったのは筆者が小学生の頃だったが、そんな祖父は筆者にとって本当に特別な人で尊敬する人だった。筆者は祖父が命がけで戦って、そして命がけで生き残ってくれたおかげで、この世に生を受けることが出来たのだ。祖父はそんな話はほとんどしてくれなかったが、このように黙しても背中で語ることが生き様を見せるというものだと筆者に教えてくれたのは祖父であった。

筆者でなくても、この世に生を受けた者たちは必ずこの世に生を受けた経緯がある。生きたくても生きれなかった者、生まれたくても生まれることが出来なかった者がいる中で、われわれはこの世に生を受けたのだ。だからこそ、われわれは生きたくても生きれなかった者、生まれたくても生まれることが出来なかった者の代わりに生を受けたともいえる。その者たちの分も含めて、この世に生を受け、今この瞬間に生がある者には、守るべき者たちを守る使命があるように筆者は感じるのだ。

だからこそ、筆者はその者たちが果たせなかった使命を一身に背負っているように感じるのだ。『葉隠』にて「武士道とは死ぬことと見つけたり」とあるが、これは「自分の志を理解し、受け継いでいってくれる者を見つけ、その者たちに託すことが出来るようになれば、例え自らが戦いで死んだとしても志をつなぐことが出来る。武士道の究極の目的とは、自らの志を理解してくれる者をみつけることである。」という意味だ。『葉隠』の精神こそ、われわれが何のために生まれ、そして何のために命を懸けるのかを武士道を通じて教えてくれているように思えるのだ。
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