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卑怯なのが嫌いなだけ

小さい頃、何気なくやったことが、物凄く卑怯なことだと気づいて後味の悪さを覚えたことは誰にでもあると思う。
初めて人を傷つけてしまったと感じたり、初めて卑怯な手を使ってゲームに勝ったり、嘘をついて人をだましてしまったり。

生まれて初めて行った、その悪事の後味の悪さと、その悪事を両親、祖父母や友人に知られ、嫌われてしまうのではないか、卑怯で卑劣な人間であると思われて、見放されてしまうのではないかと、恐怖した。
その恐怖に私は打ち震えた。
しかし、実はその程度の事は誰しもがやっていることに気づく。やっている人間が多ければ多いほど、大したことではないように思えてくる。
「みんながやっているから」、「大人もやっているから」と、麻痺してしまうのだ。

多くの大人が、そのような卑怯者でなければ、多くの子供がそのような悪事を続けることに踏みとどまるだろう。しかし、多くの大人が平気で悪事を働いていれば、子供たちは躊躇することなく、悪事を正当化するだろう。
川がきれいならば、少々汚いものが入ってもすぐに浄化され、全体として綺麗な川に戻るだろう。しかし、川が汚ければ、きれいなものが入ってもすぐに周りと同じく汚れて、全体としても汚い川のままだろう。

正に今の日本が汚い川そのものだ。
人々は平気でうそをつくし、平気で人をいじめ、困っている人がいても助ける人はほとんどいない。
企業は平気でうその宣伝を流し、商品の性能をごまかし、喜んで賄賂を受け取り、不正をしても必死に隠し通す。
隣の賄賂・汚職大国の中国について、いろんな事を非難する人もいるが、そもそもその人は他人を非難できるような行いをしているのだろうか。

そんな世の中に毅然と、立ち向かいたい。
だって、自分も卑怯者になるのが嫌だから。
ただ、卑怯なのが嫌いなだけ。
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テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

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