日本が現在既に、
独裁体制に近い状態になっている。実質的に抵抗ができないような空気が出来上がっており、抵抗しても「暖簾に腕押し」状態であることを考えると、完全に
独裁体制となっているように筆者は感じる。
多くの人に、「日本は既に
独裁体制になっている」と話しても、殆どの人は「何を言っているんだ。日本は民主主義国家だ。こんなに平和な国はない。」という答えを返してくれる。実にお花畑星人たちだ、と感じさせられる。
現在の日本でマスク警察となっている人や、他人に新型コロナワクチンの強制を進めるような人間は単に支配者が作った正義を奴隷のように受け入れて承認欲求を振りかざしているだけに過ぎない。以前も指摘した通りだが、マスク警察となっている人やワクチンを強制するような人は、結局は誰にも話を聞いてもらえず、誰にも必要とされていなかったようなコンプレックスの塊のような人間が、支配者の言うとおりに行動して支配者の命令に従わない者を弱い者いじめすることで承認欲求を見たし、自分の存在意義を見出しているだけだ。
残念ながら、そのような人たちには筆者の声は届かないだろう。筆者の身の回りでも、そのような人たちは少なくなく、あらゆる方法を尽くしても結局は、自らがすがる支配者への奴隷的精神を貫くだけであり、「マスクを着用することは正しい」「ワクチンを打つことは正しい」「支配者が言うことは全て正しい」と、新興宗教に狂信的にすがる人と何ら変わらない。※この場合の支配者には支配者の手先の手先の手先である、政府や政治家、マスコミ、御用学者、御用医者などが含まれる。
逆に、筆者のこの記事に耳を傾ける人や納得するような人は、上記のようなマスク警察の存在やワクチンを強制してくる人と何らかの形で戦っていることと思う。全面的に戦うことはできなくとも、本当は拒否したいけれども、攻撃されるのが怖いから従っている人もいるだろう。そのように、本当は抗いたいけれども抗えずにいる人たちも多いように思う。抗いたいけれども抗えない人が実は多い場合、その人たちの事を「サイレント・マジョリティ」というが、日本社会には「マスクの効果は疑わしいのに、いつまでもつけ続けろという風潮が続くのはおかしい」という人が実はサイレント・マジョリティであることを筆者は願っている。
ソビエト連邦の
共産主義時代において、サイレント・マジョリティは「
独裁体制には賛成しない」というものであった。人々はあらゆる
言論弾圧や行動制限をされても、それらの規制を逃れるようにして、ひっそりと支配者たちに気付かれないように抵抗してきた。マスクと言う言葉を使うなと言われたら「マック」でも「メロン」でも「顔おむつ」でもなんでもよい、言葉を変えて抵抗すれば良いのだ。ソビエトにおいて、抵抗したり反抗すれば逮捕されたり殺されたりするので、水面下で「抵抗しないけど従わない、反抗しないけどこっそり抗議する」ということがなされていた。今こそ、数十年前まで行われていた
ソビエト連邦下での先人たちの知恵から戦い方を学ばせてもらおうではないか。
マスク着用を強制される中で、マスクを外して外を歩いたり、電車に乗ったり、スーパーで買い物をすることが、
全体主義への抵抗となる。マスクをする人が多い中でマスクを外していると、時にはマスク警察に襲われて嫌な思いをしたり、心が折れてしまう人もいるだろう。筆者はもう1年以上前からほぼどこでもマスクをつけずに行動しているが、はっきり言って、マスク警察に攻撃されるのは嫌だし、怖い。多数派に対して明確に反対の意思を表明する少数派はいつだって勇気がいるのだ。
あまりにもまともなことを言う媒体が少ないために筆者は言論活動をしている。フェイクニュースで世の中があふれかえると、段々、嘘が本当に思えてきて、本当のことが嘘のように思えてしまうものだ。だからこそ、一人でも多くの人が筆者の記事を読んで、正気を取り戻したり、勇気を持てるようになってほしい。「虎の威を借るキツネ」のごとく、支配者の威を借ってマスク警察をしているような人は、その程度の小者であり、かわいそうな人だとでも思えば良い。
殺人や窃盗、強盗などの犯罪は規制されるべきであり、それらの自由は認められるべきではないが、そうでない限りは自由が認められるのが真の民主主義だ。民主主義を守るためには、
全体主義の流れに対しては拒否していかなければならないのだ。マスクをつけるつけないは個人の自由のレベルである。花粉の多い季節は筆者だってマスクをつけたい。そのようなときは自由意思でマスクをつけているのであって、強制されることではない。民主主義を守るためには、自由が守られねばならず、マスクの強制を許してはならないのだ。
少数派は、人数の少なさゆえに、いつも恐怖にさらされ、勇気を試される。人には戦い方が様々あり、抵抗の仕方も様々だと思うが、戦う意思のある人を筆者は尊敬する。抗う勇気がなくて悩んでいる人も、悩んでいること自体が戦う意思がある証拠であり、筆者は称賛したいと思う。叶うならば、戦う意思のある人全員に、私はあなたを尊敬していると直接伝えたい。
筆者は「AQUOIBONISTE」を名乗っているが、これはフランス語で直訳すると「それの何がいいの?主義者」であり、何かの価値観を簡単に信じない人のことだ。
先日、近所のスーパーに行ったとき、いつも通りマスクをせずにエレベーターに乗った時に、ベビーカーに赤ちゃんを連れた人と一緒になった。エレベーターに乗った途端、「マスクしてないの?!」みたいな様子で、赤ちゃんを連れた親にはそっぽを向かれたが、ベビーカーに座っていた赤ちゃんは筆者の顔をまじまじと見てきたのだ。もちろん、その赤ちゃんはマスクをつけていなかったのだが、赤ちゃんがあまりにも可愛かったので、筆者は赤ちゃんに満面の笑みをむけたところ、赤ちゃんはとても可愛い笑顔で「キャッ」という声をあげてくれたのだ。笑顔こそ最高のコミュニケーションではないかと、その赤ちゃんは実感させてくれた。
たかが「マスク」の問題ではないのだ。民主主義が守れるか、自由が守れるかの話なのだ。マスクを外して街へ出て、笑顔を振りまいて、「マスクなんかして、何がいいの?」と言ってやろうではないか。
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