fc2ブログ

ゲームから学ぶ現代社会の異常さ

ゲームは単なる遊びでしかないと思う人もいる。
しかし筆者はゲームから学ぶことも多いように思う。
小難しい専門書を読むよりも、政治的・社会的なことをゲームが教えてくれることもあることがある。

筆者は幼少の頃よりゲームが好きで、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーといったゲームでよく遊んだ。
これらのゲームの大まかなパターンは似ていて、「世界征服をたくらむ大魔王が現れて世界が闇に包まれる。その大魔王の野望に立ち向かう勇者を主人公として、プレイヤーは世界を救う旅に出る。」というものだ。

これを聞いてどう思うだろうか。
よくある作り話だなとか、子供向けのアニメやゲーム、漫画の世界と思われる方も少なくないだろう。
だが、正にゲームの世界と同じようなことが現実の世界でも起きているものなのだ。

筆者が大好きなゲームにドラゴンクエスト11がある。
これまでの多くのドラゴンクエストは、世界を征服しようとする大魔王というのが存在していて、それに立ち向かう勇者が現れ、その勇者になって大魔王を倒すという物語構成になっている。
しかし、ドラゴンクエスト11では、世界を救う存在である勇者が生まれ、世界で最も権力をもつ国の国王が「勇者は世界の平和に災いをもたらす悪魔の子だから、殺してしまえ!」と宣言する。
生後間もない勇者は行方不明になり、死んだかに思えたその十数年後、青年に成長した勇者が生きていたことを知った国王は再び勇者の暗殺を命じる。
「勇者は世界の平和に災いをもたらす悪魔の子である」というプロパガンダを信じて疑わない者たちは、世界の平和の為に勇者を暗殺しようとする。
勇者が追い詰められ、勇者の命が断たれるかと思われた瞬間、プロパガンダを流し、勇者の暗殺を命令していた国王は実は大魔王だった・・・というところから物語は新たな展開を迎えるのだ。

いかがだろうか。
このあらすじを聞いて、何かにそっくりだと思わないか?
そうだ、共産主義者による世界征服のための行動とそっくりだ。
偽情報を「真実」としてプロパガンダを流し、世の中の大半の者がそれを真実だと騙されてしまっているという話とそっくりだ。

ドラゴンクエスト11は小学生をはじめとした多くの子供たちもプレイしたことだろう。
その子たちがどのような印象をもってこのゲームをプレイしたかどうかはわからない。
しかし、何年か経てば、子供の頃にやったゲームが、如何に現代社会を風刺していたかに気づくのではないだろうか。

このゲームをする子供たちは、「まさか勇者が『悪魔の子』なはずがない」と思いながら、その身の潔白の為に必死に冒険をする。
そして、物語の中盤で、国王が実は大魔王であったことにとても驚くのだ。
その姿は正に、「正論を主張し、身の潔白の為に戦う」未来の自分に勇者の姿を重ねるのかもしれない。
「良い人」だと思っていた人が、実は「不正や賄賂にまみれた大魔王のような極悪人」だと気づく自分に勇者の姿を重ねるのかもしれない。

ゲームをすることで、現代社会の異常な不条理を子供たちは学んでいるのかもしれないと、ドラゴンクエスト11をプレイしながら思った次第である。

テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

TAG : インテリジェンスプロパガンダ共産主義世界征服

電気自動車いわゆるEV車はとても環境に悪く危険であることを知ろう

電気自動車(以下、EV車)を推進しようという強烈な圧力が続いている。
日本では菅前首相が日本の自動車産業550万人の反対の声を無視して、「ガソリン車の生産をゼロにして全てEV車にする」と言い出した。

日本は昔から世界的に自動車産業が強い。
日本の自動車企業は燃費が良く、環境にも優しく、壊れにくくて、安い自動車を販売してきた。
その努力の甲斐があって、日本車の販売台数は世界一にまでのぼりつめた。
その間、世界中が日本の自動車産業つぶしを行ってきた。
貿易摩擦という名の日本車販売規制や、そもそもの産業乗っ取り作戦として「ディーゼル車」推進もかつて行われた。

ディーゼル車の推進は欧州の自動車企業が日本の自動車産業を潰すために「ガソリン車よりもディーゼル車の方が環境にやさしいから、日本のガソリン車を買うのをやめて、欧州のディーゼル車を買おう!」というプロパガンダの元で進められたが、ディーゼル車の燃費の悪さや環境への悪影響がバレて、日本車優位は維持された。

ディーゼル車のリベンジマッチとして今般、EV車推進が欧州主導で進められた。
欧州の自動車メーカーはとにかく、自動車市場を日本から奪い取るため、「環境にやさしいEV車!」を強く推すことで日本の自動車産業への喧嘩を仕掛けてきた。
そのため、欧州のガソリン車関連の労働者は首を切られ、一部の会社はEV車へ切り替えることすらできないという大惨事となった。

欧州の自動車産業を半分破壊するほどの意気込みで始まったEV車への切り替えだが、欧州では早くもEV車への不満が続出している。
EV車はガソリンを使わず、電気で自動車を動かすわけだが、山が多く、冬になると雪も多い欧州ではEV車の運用は難しい。
雪山でガス欠になった場合、ガソリン車なら比較的容易にエネルギー供給ができるが、EV車の場合は充電が必要なのだ。
雪山で動かなくなった自動車に電気を充電するのは物凄く難しい。
そんなことは容易に想像できるにも関わらず、EV車が強烈に導入されたのだが、愚かとしか言いようがない。
同じような状況は雪山地帯の多い日本でも起こるのは明白だ。

さらに、電力が不足している日本でガソリン車をすべてEV車に切り替えれば、電力不足はさらに深刻になる。
EV車は「電気で動く」というところだけ見ればクリーン化もしれないが、わざわざそれを発電所から送電された電気を受け取り、充電し、その電力で走るため、漏電のロスが激しい。
つまり、トータルのエネルギーで見れば、ガソリン車の方が圧倒的に環境にやさしいのだ。

そしてEV車にはさらに切実な問題がある。
EV車のバッテリーは熱に弱く、爆発しやすい。
そして爆発したり燃えたりすれば、リチウムイオン電池という性質上、水での消火活動が不可能なのだ!
つまり、ガソリン車であれば、事故や故障によって車が燃えた場合、救急車が駆けつけて水による消火活動ができるのだが、EV車の場合は水をかければさらに燃えるため、救急隊員が駆けつけても炎が自然沈下するまで待つのが原則なのだ。

街を走る車のほとんどがEV車となった場合、事故が起きたらどうなるだろうか?たとえあなたの大切な人が火が出た車に乗っていても、自然に消えるまでみんなで見守るしかないのだ。
EV車は製造のための素材自体がガソリン車よりも環境に悪い。
そういったことも含めて、本当に協力にEV車を推進して良いのか、われわれは真剣に考えなければならない。

そもそも日本のガソリン車は世界で最も売れており、それは世界中の消費者からの圧倒的支持を受けたという証拠なのだ。
世界中の消費者に受け入れられている日本のガソリン車を、世界の消費者の意見も聞かずに日本政府がその産業を破壊するというのを許してはならないのだ。

テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

TAG : インテリジェンス環境問題電気自動車EV車

太陽光発電はとても環境に悪くて危険で人権侵害も伴うものであるということを知ろう

太陽光発電を増やそうという圧力が続いている。
最近、特に東京都の「みどりのたぬき」と言われる人物が「一家に一台、太陽光発電は強制します♪」と言っている。
太陽光発電というものが、どういうものか、述べようと思う。

太陽光発電というのは、文字通り、太陽の光を電力エネルギーに変えて、家庭用・産業用の電力に変えるものだ。
太陽光が必要であり、それを吸収して電力に変える太陽光パネルが必要になる。

では、①太陽光を吸収することがどういう影響を及ぼすか、②必要となる太陽光パネルを製造し、使用し、廃棄することがどういうことかを見ていこう。

まず、①についてだが、太陽光を吸収すると、太陽光を吸収しなければ太陽光の恩恵を受けることができた自然界の生物(動物や植物など)が太陽光を浴びることができなくなる。
これは既に、太陽光パネルを設置した周りの生物が激減し、太陽光を吸収した分だけ生物が死滅することが報告されている。
自然界というのは良く出来ていて、要は太陽の光のエネルギーを吸収した分だけ、地球上から生物がいなくなるということになるのだ。
これは物理学の法則からすると至極当然な法則であり、納得がいく。

そして、②について、太陽光パネルを製造し、使用し、破棄するというライフサイクルについてみてみよう。
太陽光パネルの製造にはレアメタルと呼ばれる素材が不可欠であり、これらの素材は鉱山から採掘する際に大量の猛毒が発生する。
しかもその危険性を回避するために、奴隷労働のごとく、貧しい子供たちに行わせているケースが多いという。
このような素材をもとに、現在世界のほとんどの太陽光パネルは中国のウイグルにおいて、ただ同然で奴隷労働を強制させられているウイグル人によって製造されており、多大に人権問題をはらんだ状況となっている。
太陽光パネルは設置後も自然災害による故障や、砂埃などの蓄積による太陽光発電力の低下というリスクにもさらされる。
自然災害により通常予定されているよりも短い期間しか利用できないことも多く、万が一十分利用できたとしても廃棄時にも問題が生じる。
何故なら、様々な有害物質によって製造された太陽光パネルをどのように破棄するかは環境問題の観点から、大きな問題となる。

これが太陽光発電の実態である。
太陽光発電を行うということは、環境に有害な様々な問題を含むとともに、児童労働問題やウイグル人権問題を助長することにもなる。
太陽光パネルを設置しても、その設置費用、運用費用は高く、発電による収益が十分得られるかは日照時間や周囲の建物との関係における日照問題によっても、大きく左右される。それに加えて、周りの生態系に与える影響も大いにあり、太陽光パネルの周りの生物を確実に減らすという環境問題もはらんでいる。

このような様々な問題をはらんでいるため、太陽光発電はとても「再生可能エネルギー」とは呼べないのが現実なはずだ。
にもかかわらず、太陽光発電は強く推奨されており、東京都の「みどりのたぬき」は太陽光パネル設置を強制しようとしている。
この制度の背後には「みどりのたぬき」の太陽光利権という賄賂が存在しており、「再生可能エネルギー政策に協力する」という一見、善意の活動を行っているかのように見えて、実は環境破壊と人権侵害を行っているということを知らなければならない。
われわれの偽善によってさまざまなものが犠牲とされうるのだ。

テーマ : 健康生活:病気・治療法 - ジャンル : ヘルス・ダイエット

TAG : インテリジェンス環境問題太陽光発電太陽光パネル太陽光パネル設置義務化再生可能エネルギー

シェディングやスプレッダーの被害に女性が多いのは何故なのかを大胆予想してみよう

先日、シェディングスプレッダーについて語ったが、これはまだまだ解明されていないことが多い。
未知の分野について科学的に考察する場合は特に、その専門分野だけの知識に頼るのではなく、様々な分野からの考察が大変有効である。

そこで今回は、物理学者になりそこなった筆者が、「なぜシェディングスプレッダーの被害者には、男性よりも女性の方が多いのか」について考察してみたいと思う。
シェディングスプレッダーについては、下記の記事に考察記事を書いているので、併せてご参照いただきたい。
シェディングやスプレッダーについて語ろう

どの分野でもそうだが、未知の世界を科学的に考察する場合、基礎の基礎の理論に基づく考察と、実証実験による考察が有効である。

まず、シェディングスパイクタンパクという、ウイルスよりも小さなとげのようなウイルスの断片が放出される。
そして、空気汚染測定器には化学汚染物質として検出される。
つまり、何らかの公害汚染によるミクロの汚染物質が体内に入り、何らかの経路をたどり、体内にまんべんなく拡散されるか、あるいは、体内の一部に蓄積されることが考えられる。

そして、コロナワクチンを接種した人の体内を調べた実証実験において、血液中で血栓が固まり、その血栓が生殖器に蓄積することが報告されている。
これらから、シェディングにおいてもコロナワクチン接種者と同じように、スパイクタンパクが血栓を作ったり、何らかの形で生殖器に蓄積する可能性が考えられる。

男性の場合は、生殖器である睾丸に血栓がたまるとしても、そこから血液という形では出てこない。
考えられるのは、精子に何らかの物質が老廃物として混ざることが考えられるが、世間ではそれに類するような報告を筆者は聞いたことがない。

一方、女性の場合は、生殖器である子宮に血栓がたまり、生理という形で血液が出てくる可能性がある。
実際に、女性に関しては、スプレッダーの被害と思われるものとして、月経が止まったり、閉経した女性に不正出血(月経と表現される場合もあるようだ)が報告されている。

人間の体はうまく出来ていて、外から毒物が入った場合、毒物を除去する機能が備わっている場合、自然と毒物を除去する生理的反応を示すものなのだ。
例えば、毒物を口に入れてしまった場合には、大抵は強い吐き気により吐き出してしまうのだが、それも一種の毒物を除去する生理的反応だ。

女性は思春期から長い期間、定期的に月経が来る。
これは、単に血が排出されるだけでなく、体内の悪い血を中心に排出すると言われており、一般的に女性が男性よりも長生きなのは、この定期的な月経によって体内の血を少しずつ浄化しているのではないかともいわれている。
この月経の機能がシェディングにどのように機能しているかはわからない。
しかし、もともと備わった月経という機能が何らかの影響を受けることで、シェディングによって月経が止まったり、不正出血が起こったりしているのではないかと思われる。

では、男性の体ではどのようなことが起こっているのだろうか。
おそらく、女性のような直接に反応する子宮のような臓器がないため、体内に毒物として蓄積しているのではないかと思われる。
化学汚染物質のようなものを大量摂取した影響というのは、じわじわと癌などの様々な病気になるものであり、男性は女性に比べて反応が悪く、一定以上の蓄積を超えたときに突然大きな疾患として出るのではないかと思うのである。

いずれにせよ、未知のものについては、気にし過ぎない程度の用心するしかない。
コロナワクチンを接種したと思われる人が密度高く集まる、換気の悪い場所に行くときは注意するくらいしか方法はないが、大原則である「免疫力を下げないようにする」ことが重要だろう。

テーマ : 健康生活:病気・治療法 - ジャンル : ヘルス・ダイエット

TAG : インテリジェンスワクチンコロナワクチンスパイクタンパク暴露スプレッダーシェディング化学汚染物質生理不順月経不順

「ゼロコロナ」とか「感染対策の徹底」というのは感染症に対するリスク管理が全くできていない証拠である

コロナ対策の失策が続いている。
あまりにもくだらない政策ばかりなのだが、笑ってばかりではいられない。

われわれに全く関係のない、どこかの国で「ゼロコロナだ」とか、「感染対策を徹底するぞ!」などと叫ばれても、放っておけばよい。
しかし、これはわが国の為政者たちが真面目に行い、それによってわれわれに不自由を強いるのだから、これは看過できない。

コロナウイルスというのは特に特別なウイルスでもなんでもない。
日本では結局、殆どコロナウイルスでは人が死ななかった。
マスコミはコロナウイルスに罹患した人数を煽り、死者数を煽ったが、これまでのインフルエンザウイルスの罹患人数や死者数を知っている者からすれば、「新型コロナウイルスと騒いでいるものは、ウイルスの中でも雑魚中の雑魚」だとわかったはずだ。

そして、ウイルスというのは常に蔓延している。
いわば、われわれはウイルスと共に生活しており、ウイルスが存在しないような環境では生きていけないのだ。
ウイルスはある意味、我々の耐性を作ってくれるものであり、われわれは様々なウイルスが蔓延していてくれるおかげで、強い免疫力を得ることができるのだ。
そのようなウイルスに体がやられてしまうというのは、他にどんな菌などに襲われても死んでしまうほど、体が弱い状態になっているのだ。
つまり、「ウイルスで死ぬような人間は、いずれにせよどんな理由でも簡単に死んでしまう状態」であるといえるのだ。

この基本知識を大前提にして、「ゼロコロナ」や「ゼロウイルス」政策を掲げるというのは、どういうことなのか、わかるだろうか?
真面目に答えれば、ウイルスがゼロ、つまり、ウイルスが存在しない世界というのは、人間も生きていくことができない世界なのだ。
ゼロコロナ」政策というのは「人類死滅」世界の実現させるということなのだ。
これは正に、ウイルスというリスクをどのようにとらえて対策を取るかという、リスク管理の基本が全くできていないということなのだ。
リスク管理の考え方を知ることはインテリジェンスにおいて非常に重要であり、下記の記事にまとめているので、ご一読いただければ幸いである。
リスク管理という概念を理解しているか?:リスク管理基礎講座①|KAZU@AQUOIBONISTE|note
リスク許容度という概念を理解しているか?:リスク管理基礎講座②|KAZU@AQUOIBONISTE|note

このようなウイルスに関する基礎中の基礎の知識をもとに現政権が行っていることを振り返ると、如何に愚かなことをしているかわかるだろう。
ウイルスというのは気にせずたくさん受け入れれば良いのだ。
そうすることで、体は免疫力がつくのだ。逆にウイルスを恐れて、ウイルスが少ない世界を実現すると、体の免疫力は衰え、あらゆる病気にかかりやすくなる。
そう考えると、現政権のマスクやワクチン、リモート、会話を控える、などの様々な政策は、国民全体の免疫力を下げて、あらゆる病気にかかりやすくしたいようにしか思えない。

ゼロコロナ」や「感染対策の徹底」といった、愚策にまともに付き合えば付き合うほど、ますます不健康になり、経済も悪化するのだ。
「正直者ほど馬鹿を見る」とは正にこのことだろう。

テーマ : 健康生活:病気・治療法 - ジャンル : ヘルス・ダイエット

TAG : インテリジェンスリスク管理ゼロコロナ感染対策

多くの言論人の言葉において注意すべきこと

信頼のおける人の言葉は信頼ができる。
難しいことをわかりやすく解説してくれる人の話は信用してしまう。
これが落とし穴になるということが今回の話だ。

言論界には、そのスポンサーがいつもある方向にもっていきたいという陰謀がある。
その陰謀に向かって、スポンサーの意向に沿う範囲内で言論人言論を行っているのが現状なのだ。

日本には言論統制や検閲がないと思われている。
しかし現実には、大手新聞社、マスコミはもとより、発行部数がそれほど多くない保守系雑誌までも、タブーの話題があり、タブーの話題を寄稿しようとすると出版社に止められ、実質的に言論統制される。
ある程度、影響力のあるメディア媒体に出版を差し止められることになるので、実質的には検閲がある状態と同じだ。

だが、そのような現実を多くの日本人は知らない。
そして、いつも似たような言論人やコメンテーターを出演させ、全くの素人の分野についても発言させる。
もちろん、それらの分野については全く詳しくなく、スポンサーの意向に沿った内容の話を、あたかも「信頼のおける専門家」のように語らせるのだ。

確かに、ある分野にとてもよく精通した科学者は、その科学理論を他の分野に応用して、様々な分野についても有識者となる人もいる。
しかし、これはとてもまれなのだ。
経験がないにも関わらず、あたかも経験があるかのように語る者の話にどれだけ聞く価値があるだろうか。
中身のない商品を、あたかも中身があるかのようにして売る者のことを「詐欺師」という。何の経験もなく、何も知らないくせに、あたかも経験豊富であるかのように語る者は詐欺師ではないのか。
そのような詐欺師はそこら中にたくさんいるが、最近だと元財務官僚で経済政策には詳しい言論人が突然半導体業界のでたらめを語り始めたときには、あまりにもそのでたらめぶりを見て驚いてしまった。

ある業界で働いてきた経験のあるものが、別の業界について語るとき、業界は違えども同じような構造であるがゆえに、その業界の経験はないものの、実際に経験があるかのように語れる人はいる。
しかし、実際に実務に携わらなければわからないことがたくさんある。
業界に属し、組織に属し、その中で苦楽を経験することでしか、ビジネス業界の問題はわからない。

にもかかわらず、多くの言論人はたった一度も企業や組織で働いたことがないことがないにも関わらず、平気で業界を語って言論を語っている。
筆者からすれば、明らかに業界を知らない者が書いた言論が多く出回っている。

われわれには人と人ととのつながりによって、情報を得ることができる。
現代では、インターネットなどを活用することで、さらに様々な情報を得ることが可能になった。
確かに、インターネットは嘘の情報も多い。
しかし、情報や人へのアクセスも容易になったのは事実なのだ。
結局は、リテラシーを高め、インテリジェンスを磨くことで、正しい情報をつかむしかないのだ。

テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

TAG : インテリジェンス言論人言論言論弾圧検閲

日本人の死因が世界と比べて異常である現実を知ろう

人は必ず死ぬ。
だが、あまり死ぬことを意識して生きている人を見ることがない。
生きる目的ができれば、おのずと「死に方」「死の迎え方」も定まってくるように思う。

死を考える上で、どのような死に方が正常であるかを考えれば、今の日本がいかに異常な状態であるかがわかる。

原始時代や先住民は、若者は怪我や狩りで死に、老人は老衰で死んだ。
人が集まって生活をしはじめてから、集住による不衛生から疫病が流行り、疫病による死が増えた。
そして、現代人は生活習慣病やで死ぬようになった。
現在、で死ぬ原因がわかってきたため、多くの国ではによる死因は急激に減ってきている。

しかし日本では今、40歳までは自殺がダントツで40歳以降は2人に1人がで死ぬのだ。
これは世界の中でも異常である。
世界中で若者が死ぬ原因は事故死である。
事故死もあってはならない。
しかし、自殺は事故死とは比べ物にならないほど許されないことだ。

自殺が多いのは社会が病んでいる証拠だ。
自殺にも色々理由があるだろうが、未来を悲観したり、救われないと精神的に病むことにより、自ら命を落とすのだ。

あなたに子供がいたとしよう。多くの親は子供が可愛くてたまらないし、自分よりも大切な存在になる。
その子供が自ら命を絶つことほど、許せないことはないだろう。

日本人は自殺を美化するところがあり、他の死因に比べ、あまり深刻な問題にしないように思う。
自殺を美化するのをやめよう「一家心中」は完全に死を美化している。
一家心中で子供が本当に死にたいと選んだといえるか?
単なる死なばもろともの道連れ他殺を「一家心中」という言葉で美化している。
自殺の道連れでの殺人を「一家心中」と美化しているのだ。

社会全体で自殺が多いというのは社会問題であり、その責任は大人にあり、職業的には政治家にあるはずだ。
殆どの政治家は、社会の自殺問題をとりあえず、真摯に取り組まない。
われわれはこれにNOを突きつけ、われわれの未来を担う子供たちを大切にし、守らなければならないのだ。

テーマ : 健康生活:病気・治療法 - ジャンル : ヘルス・ダイエット

TAG : インテリジェンス死因自殺

岸田流の所得倍増計画とは「生活資金はバクチで何とかせい!」という意味である

我が国の岸田首相は2022年5月5日、ロンドンの金融街シティーで講演し、「安心して日本に投資してほしい」「資産所得倍増を実現する」「2000兆円ある日本の個人金融資産は大きなポテンシャルだ」「貯蓄から投資へのシフトを進める」「インベスト・イン・キシダです」と発言した。

先日、岸田政権の不支持率95.7%という報道があった際に、「なぜ支持率が3%もあるのだ」と、下記の記事にて指摘させていただいた。
岸田内閣の不支持率は95.7%という日経CNBC調査の真偽や如何に

日本国民が1.2億人とすると、ざっくり360万人が岸田政権を支持しているという数字になるのだが、是非とも今回のこの岸田首相のロンドンでの講演内容についてお考えを聞きたいものだ。

その前に、今回の講演内容がどういうものであるのかを簡単に整理しておこう。
今回の講演においても、これまでの首相の発信でも、「所得倍増」政策が唄われていた。
その内容が今回のロンドン講演で、国民の所得は資産運用によって倍増を実現しようとしているということが分かった。

ここでいう「資産運用」というのは主に株式投資のことだ。
さらに株式投資とは、「株を買って儲ける」ということだ。株式投資には株を買って儲ける以外に様々な方法があるが、それらはさらにリスクが高く、複雑なため、ここでは「株を買って儲ける」ことにだけフォーカスしよう。

つまり、「資産運用によって所得倍増する」という岸田政権所得倍増政策とは、「株を買って儲けることで、所得を増やせ」と言っているのだ。

株式投資はとてもリスクが高い。
株式というのは、単に経済の悪化によっても株価は下がるし、運が悪ければ会社のスキャンダルが発覚することによって株価の大暴落が起こる。
株式を分散投資し、さらに長期投資することで、儲けることができると「期待」はされているが、あくまで「期待」されているだけであり、大きく損する可能性だってある。
よって、株式投資をするには、「どんなに株式市場が乱高下して、たとえ大損しても大丈夫な余裕資金で行われなければならない」というのが大原則なのだ。

この大原則に従うと、岸田政権所得倍増政策は、「余裕資金でもって株を買うことで儲けて所得を倍増しよう」という政策であることがわかる。
しかし、現在の日本国民は長引くデフレと不況により、大多数の日本人の生活は苦しく、若い世代を中心に十分な貯蓄はない。
よって、「株式投資に回すほどの余裕資金はない」のである。
したがって、「余裕資金でもって株を買うことで儲けて所得を倍増しよう」という政策は「とにかく株を買って儲けることで所得を倍増しよう」という政策に修正されることになる。

日々の生活に苦しい国民が多く、さらにコロナ不況で生活困窮者は増えている。
その国民に向かって「とにかく株を買って儲けて所得を倍増させろ」というのが、今の岸田政権なのだ。
先ほど述べたように、余裕資金でない金を株に投資することは「バクチ」でしかない。
よって、岸田政権所得倍増計画は「とにかくバクチで儲けて所得を倍増させろ」という政策なのだ。

岸田政権の所得倍増計画には株式投資の元手資金は給付されない。
つまり、「生活費を削ってバクチをして儲けて所得を倍増させろ」という政策を、国民に公表する前にロンドンで堂々と公表したのだ。

所得倍増計画」というような、政権の中心的政策の内容が、「生活に瀕している国民に対して、生活費を削ってバクチをして儲けて、それによって所得を倍増させろ」というものなのだ。
日本国民の中で人口の3%にあたる、岸田政権を支持する360万人の方々に聞きたい。

「このような政策を掲げる岸田政権を何故支持するのでしょうか?」

是非とも、一人でも多くの支持者の意見を聞きたいものである。

テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

TAG : インテリジェンス岸田政権内閣支持率所得倍増所得倍増計画岸田政権内閣支持率

本当の意味での民主主義の精神を理解しているか

民主主義において、「基本的人権を尊重するとは、どういうことか」について深堀りしてみよう。
民主主義とは何か、そして、民主主義に必要不可欠なものは「基本的人権の尊重」だという話を下記で述べているので、併せてご覧いただきたい。


日本で生活していると、日頃、基本的人権を尊重するようなシーンを意識することはあまりない。
筆者は外国に行き、外国で日々を送ることで初めて基本的人権を尊重することの大切さを実感した。

アメリカなどでは人種差別が甚だしく、日常生活の中でも常に人種差別の現実を感じるのだ。
アメリカなどに比べれば、日本ではそれほど露骨な人種差別が日常的に行われることはないのだ。

そんなアメリカで、日頃から「ユダヤ人の野郎を皆殺しにしてやる!」と叫ぶ男がいた。
その男は侮辱罪で逮捕されてしまったのだが、それを弁護して救ったのがなんと、ユダヤ人の弁護士だった。
その男は、そのユダヤ人弁護士に向かっても、「ユダヤ人を皆殺しにしてやる!」というのだが、ユダヤ人弁護士は「ユダヤ人として、ユダヤ人は皆殺しにされるべきでないと私は主張する。だが、私は弁護士として、あなたの主張の自由を絶対に守る。あなたの言論の自由は弁護士生命をかけて守る。」と言ったのだ。
凄いと思わないか?
男の主張は、このユダヤ人弁護士の生命を脅かしかねない内容なのだ。
にもかかわらず、このユダヤ人弁護士は命を懸けて、この男の主張を守ったのだ。
どんな主張であれ、命を懸けて守られなければ、アメリカの自由、アメリカの民主主義は無意味なものになってしまうというのだ。

筆者はこのユダヤ人弁護士の生き様を見て、「基本的人権を尊重するとは、これか!」と実感した。
民主主義では、様々な主義・主張は「基本的人権として尊重される」のだが、それはこのように、自分たちの声明を脅かしかねないような主張でさえ尊重するということなのだ。

日本を含め、世界中では近年、ワクチンをめぐってワクチンの利点についてだけ、言論の自由が認められ、ワクチンの欠点については言論弾圧が徹底的に行われた。
そして、ワクチン接種の強制がなされ、ワクチンを接種しない自由は許されなくなった。
本来の民主主義においては、ワクチンにおいてもどんな議論が保障されるべきであり、接種するか否かの自由は絶対的に保障されるはずなのである。

しかし、世界中でこの保障と自由が失われた。
それゆえ、「民主主義は死んだ」と言われたのだ。
民主主義が大切だというならば、たとえ自分がどんなに許せないというような内容を誰かが主張したとして、その主張を最大限に尊重した上で、自らの主張をするというのが大原則なのだ。

民主主義の精神とは、「どんな内容の主張も絶対的に認める」という精神であり、それが「基本的人権の尊重」の精神なのだ。
この精神がなければ、民主主義は死んでしまう。
われわれは今こそ、この精神がなければ民主主義は死に、独裁国家が誕生してしまうことに気づかなければならないのだ。

テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

TAG : インテリジェンス民主主義基本的人権基本的人権の尊重民主主義の精神

民主主義に必要なものは何かを今一度確認しよう

民主主義はこれまで人類が生み出した統治制度の中で最も「ましな」制度だと言われてきた。
つまり、最高ではなく、欠点もたくさんある制度ではあるが、現時点では最善の統治制度ということなのだ。
では、そんな民主主義に必要なものはなんだろうか。

下記の記事にて、民主主義は突き詰めれば国民全員のエゴがぶつかり合う欲望まみれの弱肉強食の社会になりかねないことを指摘した。
民主主義とは何かを今一度確認しよう

民主主義は国民全員の意見や希望をできる限り多く反映させようとする制度であるため、欲望のぶつかり合いとなりかねない。
権利を主張すれば、必ず誰かの何かの権利とぶつかるからだ。
そこで重要なのが、「相手の権利を認めた上で自らの権利を主張すること」だ。

みなが自らの権利主張を全面的に出し、それが主となってしまうと、必ず弱肉強食の権利の奪い合いとなる。
しかし、逆に最初に相手の権利を認めた上で、「でも、私の権利も認めてね」という設計にすると、お互いの権利主張が調和的に達成されるのだ。
正に、この精神を実現させたものが、「基本的人権の尊重」なのだ。

基本的人権の尊重の考え方とは、「個々人が持つ、自分が自分らしくあるために必要な人格的形成の根幹となる精神についてだけは、できる限り自由を認め、尊重する」というものだ。

これは例えば、ある少年がサッカーが好きだったとしよう。
この少年はサッカーが大好きで大好きでたまらないとする。
何よりも大切なものは、サッカーボールだとする。
この少年はサッカーをするのが大好きであり、サッカーをすることでもっとうまくなりたいとか、レギュラー選手に選ばれたいとか、色々目標があるとする。そういった、「サッカーが好きだ」とか、「サッカーをもっとうまくなりたい」という精神的な思いは何よりも尊重されることになる。
この少年は、サッカーをするよりも、勉強をする時間を増やさないといけなくなるかもしれない。
しかし、そんなときであっても、「サッカーが好き」という気持ちは何よりも尊重されるため、勉強に集中するために「サッカーが好きだという気持ちを捨てろ!」ということは絶対に許されないということだ。
なによりも大切なサッカーボールを捨てて、サッカーをできなくさせるなどということは、絶対に許されないことと言える。
民主主義的な争点としては、「もっとサッカーがしたい」という思いと、「できる限りサッカーをする時間を減らして勉強をさせたい」という思いがぶつかり、その折り合いをどうするかという問題が出てくる。
このとき、民主主義における「基本的人権の尊重」の精神からすれば、この少年の「サッカーが好きだ」という気持ちと「サッカーがしたい」という気持ちだけは何よりも大切にされるということなのだ。
その後の調整は様々あるが、たとえ結果的にサッカーをする時間が全く無くなったとしても、この少年の気持ちを大切にするということを一番に考えるというのが「基本的人権の尊重」なのだ。

民主主義においては、この「基本的人権の尊重」が絶対的に必要な要素となる。人には様々な信条や信念がある。
人はそれぞれ、何を大切にして生きるかというのは異なる。
しかし、人それぞれに違う大切な価値観を絶対的に守るようにしようという理念が「基本的人権の尊重」にはある。
だからこそ、「打ちたくもないのにワクチンを打つことを強制されること」というのは、「基本的人権の尊重」の原則からは、あってはならないことなのだ。

いつの時代も、民主主義において絶対に必要な「基本的人権の尊重」は、ないがしろにされがちだ。
現在の日本の憲法改正案において、「基本的人権を尊重する」規定が削除されようとしている。
これは忌々しきことであり、民主主義の否定であると言っても過言ではないということを指摘しておきたい。

テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

TAG : インテリジェンス民主主義基本的人権基本的人権の尊重憲法改正