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ドナルド・トランプ元大統領に対する家宅捜索に対する司法手続きがアメリカにおける民主主義制度の崩壊を意味する理由

2022年8月8日に行われたアメリカ45代大統領ドナルド・トランプに対する家宅捜索に関する詳細が徐々に明らかにされるにつれ、アメリカ政府が民主主義国家として崩壊していることを意味するほどの内容が明らかになってきた。
※参考記事:その1その2

民主主義制度の崩壊を意味することとは、トランプの別荘への家宅捜索の令状について、トランプの弁護士によって提示を要請されたにも関わらず、遠くから見えないように、見せないように一瞬見せただけで済ませたためなのだ。このことが何を意味するのか、何故民主主義制度の崩壊を意味するのかについて、解説したい。

民主主義制度とは、国民が国家主権を持ち、国民が国の在り方を決める制度だ。こう書くと、世界中のどの国を見ても民主主義制度が成立している国がないので心底悲しい気持ちになるのだが、その気持ちをこらえて書き進めることとしよう。

民主主義の国では国民の代表である国会議員が作った法律を国の統治ルールにするのである。統治ルールの中で重要なのが治安の維持であり、その為に存在するのが刑法や刑事訴訟法だ。これはつまり、刑法では「どういう行為が犯罪にあたるのか」が決められており、刑事訴訟法では「犯罪を犯したかどうかをどのような手続きで裁かれるのか」が決められている。これらを合わせて、「犯罪を犯した人は犯した罪によってルールに則って刑罰を科して罰を与えようね」というルールが定められているのだ。

これが重要な意味は、このルールがなされなかったことを想像するとわかりやすい。例えば、犯罪を犯したり、犯したかもしれないと疑われた時には、警察や検察に取り調べを受けるのだが、そのときに「拷問をして犯罪を犯したと言わせるようなことをしてはならない」というのが刑事手続きを書いた刑事訴訟法に書いてあるのだ。たとえあなたが盗みを働いていないにも関わらず、いきなり警察に「お前!盗んだだろ!」と言われていきなり刑務所に連れていかれて、拷問部屋に何日も体中をこん棒で叩かれながら、「盗んだと言え!盗んだと認めろ!」と言われたらどうか。「そんなことをされるなんて、とんでもない!」と思うはずだ。そういった、とんでもない逮捕がされることがないように、「拷問をして犯罪を犯したと言わせるようなことをしてはならない」ということが定められているのだ。

その他にも様々なルールが定められており、「犯罪を犯したり、犯した可能性があっても、適正な手続きに従って裁きを受ける」というのが民主主義国家の大原則なのだ。

そして今回、トランプを襲った刑事手続きでは、日本国憲法33条や日本の刑事訴訟法でも、当然アメリカでもほぼ同様に定められている通り、「現行犯逮捕などの例外を除けば、裁判官が発行する令状によらなければ捜索などを受けることがない。そしてその捜索などの場合には令状が提示されなければならない。」のだ。これはつまり、例えば警察や検察があなたの家などに押し寄せてきた場合には、「あなたには〇〇の罪に対して容疑が課せられており、それに伴って、××に関する証拠物に対して捜索を受けることが裁判所によって命じられています」と説明を受ける権利があなたにはあるのだ!これはつまり、突然警察に犯罪の疑いをかけられたときに、あなたが現在何の罪に対して疑いをかけられているのかを明確に示されないといけないことを民主主義国家のルールに定められているのだ。これを明確に示されることで、「私にはその罪を犯していない」と反論することができるのだ。

この反論する機会が与えられているというのは非常に重要なのであり、犯罪の嫌疑がかけられた者の人権は民主主義国家で初めて獲得したといってよいものなのだ。民主主義国家を宣言していなかった時代には、何の罪に対して疑いをかけられているのかを示さずに国家権力が好き放題に捜査ができたのだ。民主主義国家では、そのようなことを止めさせて刑事手続きの時にルールを定められているのだ。

後日、この令状はトランプ側の弁護士が裁判所に請求したことにより、仕方なく開示されたという。この重大な違法行為を左派メディアは報道しない自由を使って無視し続けるだろう。そういった司法上のルールも見ながら、ニュースを見る視点を持つと真実が透けて見えてくるはずだ。
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現自民党案のとおりに憲法を改憲するかいなかという議論は、「改憲しない」という結論にしかなり得ない件について

日本人は特に感情に流されやすい。
先日、安倍晋三元首相が公然の場で襲撃され、そのまま命を落としてしまった。
しかも、大手マスコミは連日それを報道し、しかも襲撃した人物が如何に酷い人物であったか、その人物に関わっている宗教が如何にカルトであるかを繰り返す。

安倍晋三の葬儀を国葬にするか否かで大激論をし、その流れに乗って、「改憲しよう!そうしよう!」といった意見に流されるものも多数現れ始めた。

そもそも、現在の自民党が出している憲法改正案は国家権力への縛りを緩くして、国家権力を強くして、より国民を好き勝手出来るようにする内容である。
下記の記事でも述べたが、そもそも憲法というのは国民から多くの権利を奪うとともに、多くの義務を課す国家権力に対して歯止めをかけるものである。
※参考記事:憲法というのは個人の尊厳、個人の人権を守るために存在する、その憲法が破壊されようとしている

だから、国民としては様々な国の政策に不満があればあるほど、国家権力を縛る方向で憲法改正することを望むのが自然なのだ。
にもかかわらず、今の自民党案の憲法改正案は、「憲法9条を改正して国を守ります!」というような客寄せパンダにだけ焦点を当て、その他に大量に盛り込まれた国家権力を強化する内容は一切触れられない。

まるで、「お買い得ですよ!」とだけいい、お買い得に見える部分だけを見せ、全体としてはとても劣悪な商品について悪い部分は一切見せず説明もしない、悪徳商法丸出しの商売に似ている。

しかも、「安倍さんの弔い合戦だ!」みたいな、わけのわからない論調で改憲をもってきている。
安倍晋三は生前、憲法改正を声高に叫んでいたが、正に現改定案そのものの、劣悪な改正案を「憲法9条を改正して国を守ろう!」という愛国精神だけを唄って改憲を呼び掛けていた。
正に、売国奴中の売国奴である。

改憲に反対する奴は馬鹿だ」と言った、煽りまで行われている。
人は「〇〇しない奴は馬鹿だ」と言われると、反射的に〇〇してしまう。馬鹿だと思われたくないから、その挑発に乗せられる形でやってしまうことがある。
まさに今回の憲法改正案の中身を理解していない情弱の精神構造を利用した、改憲に賛成させるための煽りと言える。

現在、マスコミは安倍晋三元首相の暗殺関連のニュースばかりを垂れ流している。
そして、「改憲」という単純な言葉だけを流し、「憲法改正によって国家権力を増大させ、今まで以上に国民を奴隷のように好き勝手出来るようにする」という真意を隠している。
国家権力の暴走を許し、国民の権利を縮小させ、義務を増加させるような憲法改正に賛成する国民など、本来ならば一人もいないはずだ。
安倍晋三元首相の死という悲しみに便乗して、さらなる独裁国家化のための「改憲」を許してはならない。

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マスク強制を実際にされたときの想定問答集、一問一答

日本が猛暑の夏を迎えてしまった。にもかかわらず、未だに街に出ると、ほぼ「一億総マスク完全着用」状態という緊急事態が続いている。
喜んで着用を続けている人もいるようだが、周りでたまに「マスク強制に対して正当に立ち向かうにはどうしたら良いですか?という質問をたまに受ける。

そこで、「実は多くの人がマスクをしたくなくて困っている、マスクを強制されたときにはどうしたらいいですか?」という質問についてお答えしようと思う。
なお、この答えは自分がどのような状況に置かれているかによって変わるため、それぞれの状況に応じて、一問一答で答えたいと思う。

なお、この「マスク強制」に立ち向かうための基本的な法律知識や憲法知識について、記事にまとめているので、併せてご確認いただきたい。
※参考1:マスク強制に対する法律知識
※参考2:マスク強制に対する憲法知識

1,公道や屋外でマスク強制をされたらどうしたらいいですか?

公道は公の場である。
屋外のうち、公共の場である限りは、特定の私人が管理権限者ではないから、マスクについて純粋に法律や憲法が支配する世界である。
なので、どんな人であれ、マスクを強制する権限がない。

なので、公務員ではない一般の人に「マスクをしろ!」と言われたら、「何の権限があるんですか?あなたの行為は刑法223条の強要罪にあたります。あなたを告訴しますよ?そうなればあなたは3年以下の懲役刑が科されますが、よろしいでしょうか?」と冷静に告げよう。

万が一、公務員に「マスクをしろ!」と言われた場合には、上の強要罪に当たることに加えて、「あなたは公務員という立場を利用して国民である私に対し、法律の根拠なしに違法行為を行っている自覚はありますか?あなたの行為に対して国家賠償請求をさせていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか?」と冷静に告げよう。

2,店やスーパーなどでマスク強制をされたらどうしたらいいですか?

店やスーパーなどは特定の私人が管理権限者となっている。
私人と私人との間の関係は、民法を中心とした自由契約が原則となる。
なので、店側の私人が「私の店ではマスク着用をお願いします」と定めると、原則は店が定めたルールに従わなければならない。

これに対してあなたは「何故マスクを着用する必要はないだろ!」と反論することができる。
自由契約の原則があるため、「なんでそんな不当な強制をするんだ!撤回しろ!公序良俗違反だ!」と主張することができる。
だが、残念なことに、あなたはこの反論を店側の支配人あるいは社長に対して反論しなければ意味がない。
あなたが反論した相手が単なる従業員やバイトの場合、彼らには決定権限がない。
決定権限がない彼らはただただ忠実に「マスクを着用してください。そのようにお願いすることになっています。」というしかないので、あなたは彼らにそう言われ続けるだけだ。
それに対して、腹を立ててはいけない。
彼らは従業員やバイトとして社長に従わざるを得ず、逆らえば首を切られてしまうのだ。
なので、「逆らえば首を切られてしまうから仕方なく奴隷的に『マスクしてください』と言い続けるしかない」従業員やバイトの人を責めるのは妥当ではない。

なので、店やスーパーなどで「マスクをしてください」というのに抗いたい場合は「責任者を出せ。社長を出せ」と言って、責任者や社長に対して「なんでマスク着用のような不当な強制をするんだ!撤回しろ!公序良俗違反だ!」と主張しよう。

なお、この当たり前すぎるやり取りが通じない不合理な者の数が少数派になれば、自然とそういった理不尽な主張をする店は少なくなっていくはずである。
しかし、今のところ日本ではそれが期待できないというのが現実である。

3,上記の主張が通じない相手がいます!どうしたらいいですか?

あなたの気持ち、とてもよくわかります。
法治国家の常識を突きつけても、全く理解を示さない人が居ます。
それは、法治国家を理解していない人か、法治国家を放棄し、グローバリスト共産主義に傾倒し、グローバリストが独裁的に決定したワンルールのみが正しいと信じる人か、どちらかだ。
どちらにせよ、まともな対話ができない相手であり、あなたがどんなに説明しても聞く耳を持たない人なのだ。
残念ながら、こういう相手の考え方を改心させるのは不可能に近い。
よって、相当の覚悟をもって挑むか、相手にしないように立ち去るかは、あなたの自由である。

以上、検討を祈る!

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マスクを強制されることの憲法的な意味を考えてみる

先日、「マスクを強要されることの法律的な意味」を考察してみた。

「マスク着用の強制」は違法、「マスク着用の協力」は合法、「マスク着用を強制させられるかのような協力要請」は極めてグレーだということを指摘させていただいたが、憲法的な視点からは、どのように権利が守られるのかについても考察してみよう。

憲法の根本的な役割は、法律に制限をかけることであり、主に国家権力を制限することにある。
どんなに法律で国民の権利を制限して義務を課したとしても、「個人の尊厳として基本的人権は保障される」として、法律に牽制をしているのが憲法だ。

では、憲法で具体的にどのような権利が守られるのか。
それは、「人権」と言えば何でも守られるわけではない。
思想良心の自由や信仰の自由などをはじめ、政治的表現の自由、学問の自由などが守られる一方、例えば喫煙の自由や飲酒の自由、他人を侮辱するに至る言論の自由には制限がかけられる。
一方で、奴隷的な拘束を受けない自由や、生命・自由・幸福を追求する権利、不当に差別されない自由が保障されている。

これらを踏まえ、「マスクを強制」されることについて、具体的に憲法はどのように関係してくるかを考察しよう。

まず、大原則として憲法は不当な不自由を強制することを禁止し、「公共の福祉に反しない限り」の自由を認めることを大原則としている。
つまり簡単に言うと、「他人に干渉するな、お互いに好きにさせろ」が大原則中の大原則なのだ。

そうすると、「マスクを強制」することが許されることが認められるのは、「マスクを強制することが公共の福祉に必要だとの合理的根拠がある」ということを前提に、マスクをすることの合理的必要性がなければ認められないということだ。
これは平たく言うと、「マスクをしなければ守られないような理由がないと、絶対にマスクを強制されることがない」と定めるのが憲法だ。

この大原則を破って「マスクを強制」することができるのが法律となる。
法律の話は以前に書いた通りである。

振り返って今の日本社会はどのようになっているだろうか。
憲法というのは、国家権力などから、不当な強制や差別を受けることから守る存在として位置しているのだが、それを全く無視している人が国民の何割なのだろうか。

法律や憲法によって統治される国を法治国家という。
せっかく手に入れた権利を放棄するのは自由だ。
しかし、法治国家を手に入れるため、人類は多くの血を流してきたのだ。
その法治国家を自ら放棄している人たちこそが、「マスクを強制」する人たちであるということなのだ。

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マスクを強制されることの法律的な意味を考えてみる

梅雨が明けて、日本は全国的な猛暑に見舞われているが、みなさんはいかがお過ごしだろうか。
人間は通常、何かを強制的に制限されていなければ、最も自然で合理的な行動をとるのが本能だと思うのだが、その例に倣って筆者は最近、外に出るときに「腕マスク」をするのを本能的に忘れてしまう。
そうすると、物凄い暑さの屋外でほぼ全員がマスクをして歩いているのを見て初めて「マスクを忘れた」ことに気づくのだ。
本能とは恐ろしいものである。

さて、こんな状況になっても、いろんなところで「マスクを強制される」という場面を見かける。先日もマスク社会を続けることの弊害について指摘させていただいた。
※参考:マスク社会を続けることの弊害

そこで、今回、マスクを強制すること、されることについて、法律的な意味を法律家として論じてみたいと思う。

まず、国家権力が国民であるわれわれに何かを強制する、つまり、義務を課す場合には法律の根拠が必要なのである。
現在、日本では「マスクをしなければならない」場面を規定した法律は存在しない。
つまり、国家権力がわれわれにどんな場合であっても、どこで何をしようが、「マスクをすることを強制します」ということはできないのだ。
この大原則に従うと、あらゆる場面においてマスクを強制することは違法行為となる。

だから日本政府は「マスク着用の協力をお願いします」というのだ。強制することは違法だが、協力を求める分には問題がない。
「マスクを着用する」という行為自体が犯罪の場合は、その強力を求めることも違法になるが、「マスクを着用すること」は犯罪でもなんでもないので、それの協力を求めても問題はない。
だが、この協力に応じなければ飲食店に補助金を出さないとか、営業時間の短縮をさせるなど、あたかも「協力に応じなければ行政罰を受ける」かのような印象を与えることで、間接的に強制している。
これは極めてグレーゾーン対応であり、違法に近いが、ぎりぎり合法と言ったものと言える。

しかも、日本人は同調圧力に弱い。
しかも、上の命令に従わないことを極端に嫌う。
本来ならば、「マスクをつけてくれたらうれしいな」と言われても、つけたければつけるし、つけたくなければつけないのが通常だろう。
自分の好きな人がお願いすることなら、少しは聞くかもしれないが、どこの誰かも分からない人間にそのようなことを言われても、普通なら自分の価値判断だけで決めるものだ。
だが、特に政府や地方自治体などの行政が「お願い」したことに対して、それを守らなければ「国家権力に歯向かうという畏れ多いことをする」と多くの日本人は思ってしまうようだ。

マスク着用の強制」は違法、「マスク着用の協力」は合法、「マスク着用を強制させられるかのような協力要請」は極めてグレーだが合法なのだ。
だが次に、「憲法上どうなのか」や、「強制や協力に従わないことはどうなのか」などについて問題になるが、それはまた別の機会に考察しよう。

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アメリカ連邦最高裁の中絶判決から学ぶ憲法と裁判所の大切さについて

今週、アメリカの連邦最高裁が中絶の権利に関する判決を変える判例を出したことが世界中で話題を呼んだ。

筆者が日頃、大手メディアがいかにフェイクニュースを垂れ流しているかを指摘させていただいているが、このアメリカ連邦最高裁の判決に関しても、フェイクニュースが垂れ流されており、一体何が問題となっているのか、特にアメリカ人の中絶に対する宗教観などを含めて日本人には一般的に理解が難しいので、そのあたりも含めて解説したいと思う。

アメリカではこれまで、全米で中絶が合法であった。
つまり、妊娠している女性が中絶するかどうかを選ぶ権利があったのだ。
これは、1970年代にアメリカの連邦最高裁が「女性の中絶する権利を容認する」とする判決を出したためだ。
これによって、これまでアメリカでは人工妊娠中絶を行う権利が女性に与えられていたといえる。
だが、これは逆に、母親のお腹に命を宿した胎児が生きる権利を奪われるともいえるのだ。
アメリカではいわゆる保守層と言われる者たちの多くが、胎児の生きる権利を奪わせる人工妊娠中絶に反対していたわけだ。

お分かりだろうか。
中絶する権利を認めれば、胎児が生きる権利が害される。
一方で、中絶する権利を認めなければ、胎児が生きる権利が認められる。

これは、どちらのどの権利を認めるかという、非常に難しい問題であり、アメリカではずっと議論となっているのだ。

そして、今週、アメリカの連邦最高裁は1970年代の判例を覆し、「中絶の判断は各州での判断に委ねる」という判決を下したのだ。
この意味が理解できるだろうか?
アメリカという国が合衆国という形態をとっており、アメリカの52州はいわば、日本人の感覚で言えば52の国でできており、52の国が「アメリカ合衆国」という一つの大きな国に束ねられて、「アメリカ合衆国」を国として運営されている。
これまで、アメリカ合衆国がアメリカの52の州すべてに「中絶を合法化にしろ。例外は認めない。」としていたのに対して、今週の連邦最高裁は、「52の州それぞれで、中絶を合法化するか、禁止するかを自分たちで決めてください」という判決を下したのだ。

とてもややこしいので、さらに一言で言うと、アメリカ合衆国が52の各州に対して、「これまでは中絶は絶対に合法化しろと連邦政府から命令していましたが、これからは各州のみなさんで決めてください」という判決が連邦最高裁から出されたのだ。
これを大手メディアは「女性の中絶する人権を奪った!人類史上最大最悪の判決だ!」と騒いでいる。
もう一度言う、連邦最高裁判所は「今までは『中絶は合法』としろとしてましたが、今後は『中絶を合法とするか、非合法とするかは、各州で自由に決める』こととしてください」と判断したのだ。
大手メディアが何故フェイクニュースといわれるのか、お分かりだろうか。

アメリカでは「中絶を非合法にしてほしい」と望む州も多いのだ。
しかし、この連邦最高裁判決が出るまでは、「絶対に中絶を合法にしろ」とされていたのだ。
アメリカの52の各州は原則、日本人の感覚で言う国であり、各州が自分たちで自分たちの州のルールを決めるというのが大原則なのだ。
その大原則を例外的に、1970年代の連邦最高裁の判決によって、中絶に関する決定権が各州から奪われていたのだ。

本来のアメリカの憲法の理念からすれば、中絶に関する権利も各州が自主的に決定するのがアメリカの理念である。
憲法に沿ったルール運営がなされてこなかったことに対して、裁判所がNOを突きつけたのが今回の判決と言えよう。

裁判所が公平であることはとても重要である。
今回の判決はある意味、アメリカ合衆国の建国理念に反する立法不備が裁判所によって是正されたといえる。
たとえ時の権力者、政治家が国の理念や憲法に反する悪法を作ったとしても、憲法がしっかりした内容であり、かつ、裁判所が正常に機能すれば、そのような悪法にメスを入れることができる。

人の振り見て我が振り直せの習いに従い、アメリカの今回の連邦最高裁の判決をみて、我が国の在り方を見直そう。

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行政による「勧告」「要請」「行政指導」はただの「お願い」であって法的拘束力がないことを知っておこう

都道府県知事の名のもとに、様々な「勧告」や「要請」が日本で行われている。
例えば、「東京都知事による蔓延防止措置等に関する要請」などだ。

都道府県知事は一般的に地方行政の長である。
地方の行政のトップとして、都道府県知事は様々な「命令」や「勧告」「要請」などを行う。
この、「命令」や「勧告」「要請」などはどういう意味を持つか、ご存じだろうか。

行政というのは国家権力だ。
国家権力の中には三権と言われる立法(国会)、行政、司法(裁判所)があり、その他にも警察、検察、消防所など、様々な行政機関がある。
その中でも行政の中のトップである内閣や、地方の行政機関のトップである都道府県知事は最強の国家権力を持っている。

この国家権力というのは、いつの時代も常に暴走して国民を蹂躙して国民の権利を奪う危険性がある。
その危険性に歯止めをかけるために憲法というものが存在する。憲法とはどういうものかについては、下記の記事も参考にしていただきたい。
参考:憲法というのは個人の尊厳、個人の人権を守るために存在する、その憲法が破壊されようとしている

そして地方行政というのは、日本政府から地方自治を認められているのだが、地方行政の暴走を止めるために地方行政は「法律の根拠」がなければ、地域住民に権利を制限したり、義務を課したりすることができない。
これは憲法や法律によって定められている。
逆に言うと、憲法や法律によって、「法律の根拠」がないのに、地方行政に何かを強制されたりしないということを意味する。

法律の根拠」によって定められたものは「条例」や「命令」という。
これらは必ず「法律の根拠」があるため、地方行政は「条例」や「命令」に基づいて、地域住民に何かを強制させることができる。

しかし、「法律の根拠」がないものについて、行政が何かをする場合は「勧告」や「要請」という、ふわっとした「あたかも何か従わなければならない」ような言葉であって、実は「法律の根拠」がない言葉を使う。
これを知らなければ、「勧告ですから」とか、「要請します」と言われると、あたかも従わなければ罰せられると思ってしまうものなのだ。

そして、近年は特に東京都知事をはじめとして、「法律の根拠」がないにも関わらず、「時短要請をします。従わなければ罰則を科します」というような信じられないことをやっている。
これは正に「法律の根拠」がないにも関わらず、「罰則という義務」を課していることになり、そのようなことを行う行政が罪に問われることなのだ。

お分かりいただけただろうか。
「勧告」や「要請」「行政指導」というものは、何の根拠もない。
ただの「お願い」であり、全く持って無視をしていいものなのだ。
例えば、あなたが知人から「お金をください」と言われたら、それは単なる「お願い」であり、言われた通りにお金をあげる必要はない。
優しいあなたが知人にお金をあげるのは自由だ。
しかし、「お金をあげなければならないのか?」と言われれば、そんなことはないだろう。
行政による「勧告」や「要請」「行政指導」は、その程度と同じレベルなのである。

つまり、「お願い」に従う必要は一切ないのだ。
そもそも、「お願いに従う」という言葉自体、日本語としておかしい。
「お願いに従いました」と言ったら、「あなたは日本人ですか?まさか、中国人ですか?」と言われても仕方のないレベルだろう。

行政は日本という社会における支配者である。
支配者は支配欲に満ちており、奴隷民を思い通りに従わせたがる。
そんな時、「法律の根拠」がない場合は、行政という優越的地位を利用して、上から目線で「勧告」や「要請」をするのだ。
しかし、それは単に支配欲からくる命令であり、何の法的根拠もないため、一切従う必要はないのだ。

われわれ一人一人の個人には自由に生きる権利がある。
一人一人が個人として、その尊厳を守られることを、この国の憲法が保障してくれている。
行政の「勧告」や「要請」によって、われわれの尊厳が侵害されるのを許してはならない。
われわれは奴隷ではなく、一個人として、基本的人権が保障されているということを忘れてはならないのだ。

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緊急事態条項がそれでも必要だと主張する者に欠けている視点と罠

緊急事態条項が必要だという議論が絶えないようだ。
そもそも緊急事態条項というのは、何らかの事態を契機にして「国家権力は憲法を無視していいよ」というものだ。

憲法が何のために存在するかは下記の記事で詳しく指摘させていただいている。
※参考:憲法というのは個人の尊厳、個人の人権を守るために存在する、その憲法が破壊されようとしている

つまり、緊急事態条項は、「緊急事態が起きた場合には個人の尊厳を無視して国家権力が国民に何でもしても良い」ということなのだ。
そんなことを究極的に許せるかということなのだ。

善意で「緊急事態条項が必要な時がある」として賛成する人がいる。
一方で、「緊急事態を宣言することで、好きなように国民にいろんな権利義務を強いて支配をしたい」と考えて悪意で賛成する支配者もいる。

後者の支配者の理論は論外であり、われわれ一般市民は全力で反対しなければならない。
では、前者の意見はどうだろうか。

そもそも、法律は不測の事態に備えて、国家が国民に義務を課す目的で制定されている。
つまり、「こういうときには、こういう権利を制限したり、こういう義務を課すよ」というのをあらかじめ定めるのが法律なのだ。
だから、こういう時はどうすべきだとか、こういう時でもこういうことは許されないとか、日頃から議論しておき、それによって定められた法律というルールに従って、いざという時に備えるのだ。

にもかかわらず、普段から議論もせず、「何かあったら、何でも好きなように命令するよ」というのを認めるのは、議論の放棄である。
それに、不測の事態、緊急事態が起きてしまったとして、急に決めた政府の方針が「正しいこと」など、期待できるだろうか?
緊急事態条項に賛成の人には、具体的にどういう時にどういうことをするために緊急事態条項が必要なのかを説明してほしいものだ。
殆どの事は、日頃から準備していないだけであり、「緊急事態」というどさくさに紛れて、「日頃から強制したかった陰謀」を強制するだけのようにしか見えない。
緊急の事態であれば、緊急の事態だからこそ、守るべき権利は守らなければならず、個人の尊厳は冒されるべきではないのだ。

コロナの騒動で日本ではほぼワクチンが強制的に大量接種された。
「コロナという緊急事態だから治験中のワクチンを打ってください」という空気が日本全土を流れ、殆どの人が打ってしまったようだ。
これはまさに、あたかも緊急事態条項が発令されたのと同じ状態だろう。
その結果はどうであったか?
有史以来の大規模薬害問題に発展した。
政府は様々なクレームや訴訟に対して火消しに走っており、同じようなことを回避するために「緊急事態条項」を設けたいだけのようにしか、筆者には見えない。

他国から戦争を仕掛けられた時のために緊急事態条項を定めるべきだという者もいる。
これこそまさに、法律や憲法を何もわかっていない者の主張である。
そういった有事の際に、軍隊などにどのような指揮監督権を持たせるか、誰に責任を負わせるかなどを、どの国もあらかじめ法律などで定めているのである。
日本では自衛隊は軍隊ではないということにしており、その自衛隊の指揮監督権や責任の所在も何も定めていない。
緊急事態条項を定めようという議論をする前に、それらについて議論して定めれば良いだけの話である。

以上のことを無視したり、知らないふりをして、「有事にかこつけて、国民を好き勝手に支配できるようにしよう」という陰謀が、緊急事態条項の賛成者からは感じるのである。

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憲法というのは個人の尊厳、個人の人権を守るために存在する、その憲法が破壊されようとしている

憲法というのは何故存在するのか。
それは国家権力を制限して、一般市民を守るためである。

人類の歴史上、一般市民は国王や皇帝などの支配者によって蹂躙されてきた。
国王は市民に重税を課し、様々な権利を奪い、義務を負わせてきた。
この国王の権力を抑えるために憲法が作られた。
つまり、国王は法律によって国民に様々な権利を制限したり、義務を課したり、重税を課したりするわけだが、その法律に制限を加えたり、国王の行動を制限するのが憲法の役割になる。

そのため、憲法の一番の目的は「個人の尊厳」を実現することであり、「個人の人権」を守ることが一番の目的なのだ。

個人の尊厳とは、基本的人権ともいわれ、一人一人の個人の自由が尊重されるということだ。
具体的には、どのような思想を持つか、どのような信条を持つか、どのような言論活動や表現活動をするか、どのような仕事をするか、どこに住むか、どのような学問を学ぶか、などについて原則として誰かに強制されたり、禁止されることはないということだ。
原則としてとは、例えば、好きなように「誰かの物を盗む」とか、「誰かを殺す」と言った犯罪行為は許されないことを例外としている。
つまり、何でもかんでもが許されるわけではないが、誰かに迷惑をかけない限りにおいて、個人が望んだことは最大限に尊重されるということなのだ。

憲法はこの個人の尊厳を守るための最後の砦になっているのである。
憲法があるから絶対的に必ず守られているというのではないが、少なくとも、憲法に違反する行為は誰であっても許されないのだ。
この憲法のもっとも大切な精神は誰もが知っておかなければならない。

そして今、この憲法におけるもっとも重要な「個人の尊厳」を唄った日本国憲法97条の基本的人権の規定を削除しようとしているのが、現在の自民党の改正案であることを忘れてはならない。

現在、戦争の危機や感染病対策など、様々な理由を掲げた上で、「憲法を改正すべきだ」という話が出されている。
確かに現在の憲法には様々な欠陥があり、そもそも現行の憲法は日本人の手によって作られた憲法ではない。
戦後、アメリカのGHQによって押し付けられた憲法であることに間違いはない。
だからと言って、火事場泥棒のように、「戦争に備えよう!」とか、「来る感染病に備えよう!」などの言葉に踊らされて、この最も重要な基本的人権の規定である97条を削除することを許してはならない。

現行の自民党憲法改正案には緊急事態条項の新設も盛り込まれている危険性を下記の記事にて指摘させていただいたが、併せて97条の削除についても、絶対に許してはならないのである。
緊急事態条項とは何かについて深堀してみよう

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緊急事態条項とは何かについて深堀してみよう

2022年5月3日に我が国の首相岸田文雄は「緊急事態条項の導入が必要だ」といったような発言を行った。
この岸田首相は、首相に就任してから特に何か具体的な政策をするといったような表明もなく、背後に見え隠れする様々な利権団体の言いなりにのままの行動をしていることから、一部では「操り人形」と言われているようだ。

そんな「操り人形」が発言した「緊急事態条項」とはどういったものか、深堀してみよう。

緊急事態条項とは憲法に定められるような条項であり、戦争や緊急の災害などの緊急事態となった場合には、法律や憲法で定められたことに反することであっても、国のトップである国家元首(日本の場合は内閣総理大臣)の号令によって行えることを定めたものである。

そもそも憲法とは、国家権力が国民の権利を侵害するのを抑制するためのものである。一方で、法律とは、国家権力が国民に命令するものである。
つまり、法律を根拠として国家権力は国民に色々命令ができるわけだが、法律によってめちゃくちゃにされないように憲法によって国民を守っているのだ。憲法で守られた権利については、たとえ法律で定められていても、その法律は憲法に反するという牽制をすることで国民を守る働きをする。
憲法が大切だと言われるゆえんはここであり、たとえ国民に不合理な法律が作られたとしても、憲法によって、そのような法律から国民を守ることができるというのが憲法なのだ。

しかし、その憲法に緊急事態条項があれば、「今、緊急事態が発生した」というだけで、法律や憲法を無視してなんでもできてしまうのだ。
たとえ法律や憲法を無視して好きなことができるとしても、とても信頼のおける国家元首によるものであれば、必要最小限の侵害にとどめるとともに、それをすることが国民全体にとって利益になることが期待できよう。

しかし、有史以来、この世界で素晴らしい権力者など、いたであろうか?
何をやらせても大丈夫なくらい、信頼できる国家元首が存在したことなどあるだろうか?
しかも信頼できる国家元首による統治時代がずっと続いたことなどあっただろうか?

本当に優秀な経営者のいるベンチャー企業ならば、ワンマン社長の独裁的な行動も利点があるだろう。
しかし、国家というとても大きな規模で、「信頼ができるから何でもして良いよ」と任せることのできるような国家元首が存在し続けることなどあるだろうか。

国家権力から国民を守る最後の砦である憲法を、「緊急事態条項」を入れることで骨抜きにしてしまうのだ。
たとえ、「民主主義国」の看板を掲げる「憲法」が存在していたとしても、「緊急事態条項」を入れるだけで、「民主主義を骨抜きにして共産独裁主義」の国に変えることができるのが緊急事態条項なのだ。

最後に、最近、緊急事態条項を発動させようとしたカナダで何が起こったかを見てみよう。
カナダでは、コロナウイルスの流行を理由に、国全体でコロナワクチンの強制が行われていき、行動制限も行われ、国民の自由がどんどん制限されていた。
そもそも、コロナワクチンの強制は憲法違反であったにも関わらず、強制接種が行われ、接種を拒否した者は解雇されて職を失っていったのだ。
そんな中、カナダのトラックドライバーにもコロナワクチンの接種が強制され、それを契機にカナダ全土のトラックドライバーが立ち上がり、首都オタワに向かって集結して接種強制に反対するという平和的なデモが行われた。
カナダ全土で国民はトラックドライバーを応援し、数週間ほどで約10億円もの大金の募金が集まったのだ。
これほどまでに国全体で接種の強制に反対し、接種するか否かの自由を訴える平和的なデモに対し、カナダのトルドー首相はこれを「国内テロリスト」と認定し、緊急事態を発令した。
緊急事態の発令により、トルドー首相は独裁的に様々な命令を発動できるようになり、多くのトラックドライバーは逮捕されて牢獄に入れられ、トラックドライバーに集まった募金を凍結するとともに、トラックドライバーたちの預金口座を凍結した。
これに対してカナダの多くの国会議員が立ち上がり、首相に対して拒否権を発動させる形で緊急事態は解除されるような形となった。

お分かりだろうか。
緊急事態条項があると、このように大多数の国民が「やめてくれ」とお願いするようなことでさえ、独裁者と化した国家元首の一存であらゆることが可能となるのだ。
独裁者の鶴の一声で「預金封鎖」さえ簡単にできることをカナダは示してくれた。
これは大昔の話ではない。
2022年2月という、たった3か月前の現代の話なのだ。

これが緊急事態条項である。
「コロナは怖かったですね。緊急事態条項を導入したら、コロナ対策は万全になりますよ」という一見、甘い言葉をかけることで、一瞬にして日本を共産独裁国に変えてしまうのが、緊急事態条項の導入なのだ。

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