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正確な判断をするためのインテリジェンス

世の中の情報はバイアスにあふれている。
バイアスとは偏りのことだ。

企業が自社の商品を宣伝するときには、商品の利点だけを伝え、欠点はほとんど伝えない。
化粧品屋は自社の化粧品を売りたいために、美しくなる姿だけを過剰に見せて、肌荒れするような危険性は伝えない。
食品会社は自社の商品を売りたいために、おいしさだけを伝えて、食品添加物のことは伝えない。
消費者としては、利点も欠点も十分に知った上で、いろんな商品の中から自分にあったものを探したいが、企業はそのような情報を与えてはくれない。

自社の商品を誇張するのは、何も商品を売る企業だけに限らない。
新聞やテレビは、自分たちが伝えたい情報だけを伝えて、反対側の意見は伝えない。
新聞やテレビは、新聞社やテレビ局にお金を出してくれるスポンサーにとって都合の良い情報を流すから、そうなってしまうのだ。

ニュースを見て、我々は、一方の考え方だけではなく、様々な意見、賛成意見や反対意見、中立の意見など、様々な意見を知った上で判断したいが、マスコミはそのような情報を提供してはくれない。

情報弱者の我々一般人はどうすればいいか。
それは、判断するための正しい情報を知ること。
真偽不明の情報を判断するための知識や考え方を得る必要がある。

分析がされていない、単なる事実のことを「情報」、informationという。
「情報」を様々な視点から考察して分析を加えたものを「インテリジェンス」、inteligenceという。
アメリカの諜報機関CIAのIはinformationではなく、inteligenceだ。
情報は分析を加えなければ、単なる「情報」でしかない。
様々な「情報」を「インテリジェンス」に変え、現代を生き抜こう。

フェイクニュースに満ち溢れた現代を生き抜くための筆者の見方を発信していこうと思う。

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テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

日本という社会や文化が滅亡しようとしている原因は大多数の日本人の当事者意識のなさである件

先日、筆者は知人らとある講演会に参加した。その講演会はある業界が外資に完全に喰い物にされていて、その業界の構造的問題や解決策についての話であった。外資による独占状態によって自国産業が破壊されようとしている状況をいかにして巻き返すかという話もあり、最新鋭の技術の話も交えた話であった。筆者はその業界の人間ではないこともあり、話についていくのに必死であった一方で、様々な自国産業が滅ぼされようとしていることに対して自分が何ができるか、祖国の文化を守るために自分が何ができるかを改めて考えさせられ、講演者が提案する内容の凄さと自分の無力さを感じた。

そんな講演会を聞き終わった後、たまたま同講演会に参加した知人の知人の感想を聞くことが出来た。その方の話によると、「自分は十分知っている話であり、物足りないものであった」ということであった。

聞くところによると、その方は講演会で話題になった業界の人間ではないそうだ。筆者は大手証券会社のリサーチ部門に長く在籍したことがあり、全産業セクターを日々ウォッチしていたこともあり、その中でも講演会で話題になった業界はとても複雑で理解困難な分野であり、しかも講演会は最先端の技術を組み合わせた新しいものについての話であった。にもかかわらず、その方は「物足りない」と言ったのだ。

真意は別であったのかもしれない。だが、この方の精神構造は多くの日本人の精神構造にとても酷似しているように筆者には思えたのだ。

同講演会でも語られていたが、日本はどの産業も政府から援助や協力を全く受けていない。経済産業省や財務省、金融庁などをはじめ、全ての行政はアメリカや中国などの望むままに産業を破壊する行動しかしない。経済産業省のお世話になった企業は倒産させられることは業界では常識となりつつある。一方、アメリカ、中国をはじめ、韓国でさえ、政府が主要産業を税制面などを含めて手厚く支援して自国の産業を強くし、自国の経済を強くする努力をしており、それをしていないのは日本だけなのだ。

日本以外の国の政府は過酷な競争社会で戦う子供を全力で裏から支援している形だが、日本政府は子供を崖から落ちたことも気付かず、完全に育児放棄している状態である。日本がそのような状況になったのは、主にアメリカによって言われたことしかしない社会体制が浸透していき、中国によって賄賂や不正をした方が報われる腐敗社会が浸透した成れの果てなのである。

自分の頭で考え、あらゆる問題を自分の問題として考えるという当事者意識を持ち、不正や腐敗に「NO」を突きつけるような者が日本人の大多数であったならば、このような状況にはならなかったであろう。確かにアメリカに対する土下座外交や中国に対する賄賂政治でのし上がった政治家によって政治は腐敗し、その流れで官僚も腐ったことは否めない。だが、同じように一般人も腐敗していった慣れの果てが今の日本なのだ。

戦前生まれの武士道精神を持った者たちの後ろをついていき、高度経済成長期とバブルを謳歌し、その後の腐敗を放置したのが今の60代と70代だ。彼らは既にリタイアしたものも多く、自分たちが腐敗に招いた社会に対する反省を持つ者は絶滅危惧種である。日本経済が良かったうちに逃げ切るように退職したため、経済的に困ることもなく、逃げ切るように死ぬまで裕福に暮らす者も多いのだろう。

筆者は金融業界で働いているのだが、今の60代や70代の方々に「高度経済成長期やバブルの頃は楽しかったねぇ」なんて言うことを言われるが、冗談ではない。金融業界はその頃に「今だけ金だけ自分だけ」に走った者たちが業界をめちゃくちゃにし、そのときのツケが今になって残っている。筆者もいちいち言い返す気もないので、「そうですね、昔は良かったですね」と適当に返すが、心の中では「あんたらのせいで今、どれだけ大変やと思っとるんじゃあ!」と怒り心頭である。それは金融業界だけではなく、どこの業界もとても厳しく、生き残りに必死である。

加害者意識や当事者意識があれば、先日の講演会の彼のように「物足りなかった」という言葉は間違っても出てこないだろうと筆者には思えるのだ。殆どの日本人は「自分は絶対に正しい」「自分は何でも知っている」というプライドの塊と、「当事者意識ゼロ、責任感ゼロ」の「今だけ金だけ自分だけ」の腐った精神で出来ており、そんな人たちが大多数となって日本という国の衰退を招いたのだ。正にそのような精神性から、彼に「物足りなかった」と言わしめたのだと筆者は感じざるを得なかったのだ。

そんな彼の「物足りなかった」という言葉を聞いて不愉快に思いつつも、改めて「日本のあるべき姿を取り戻すために多くの者と立ち上がり、日本を変えてゆかねば」と思った次第である。

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TAG : インテリジェンスプロパガンダ産業構造当事者意識

議論で批判や攻撃/口撃を受けたときの対処法(言論人特別強化講座)

言論の世界は原則、様々な意見を戦わせることでより良い結論を導き出すために存在する。
しかし、世の中で行われている言論は単に、「自分が優れていることを主張したい」だけの為に言論を行っているだけで、他人の意見には聞く耳を持たず、とにかく他人を攻撃しているだけの人もいる。

一見、あなたに意見したり批判をする人がまともな反論をしているように見えても、実は単にあなたを潰したいだけの時もある。
それを見抜けない場合は、ただただ悪意者に人格否定をされただけのようなものであるにも関わらず、受け取った本人は延々と悩み気づ尽き、最悪の場合は言論の口を閉ざしたりしてしまう。

筆者は当時、政治的言論が強烈に左の人たちもたくさんいる大学に通っていた。
北朝鮮による拉致被害者が社会問題になっていたにも関わらず、金王朝による共産主義の素晴らしさを声高に訴える者さえいたほどだ。
そういった人たちと政治的な議論をし、筆者はコテンパンにつぶされてきた過去があり、何度も政治的な言論の世界から足を洗おうと思った。

また筆者は金融業界でいわゆる金融経済研究所と呼ばれるような大手の金融機関のリサーチ部門に長く在籍したことがある。
そこでは様々な金融経済に関する議論が飛び交っていたが、殆どの場合は自分の優位性を示すために他人を潰す発言しかしないような人もたくさんいた。
若くて未熟だった筆者は彼らの格好の餌食にされ、ありとあらゆる主張を潰され、受けたことのない種類の人格否定はないくらい、コテンパンにつぶされてきた。

それでも筆者はつぶれず、逆に、より強くなることができた。

言論には意図がある。
言論には背景がある。
対等な土壌に立っての戦いもあれば、反則的な一方的な攻撃もある。
それらの違いをいかにして見極め、それに対する対処法について今回は解説したい。
興味がある方は是非この続きも以下のURLよりご覧いただければ幸いである。

https://note.com/kagadazugudu/n/nc04f9eff76b5

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TAG : インテリジェンスプロパガンダ議論批判

2020年から急激に増えた「テレビを見るな」という意見にツッコミを入れてみた

2020年には様々なことがあった。アメリカの大統領選挙で信じられない規模の不正が行われ、一斉にテレビが「不正はない」と断言した上でバイデン当選に突っ走った。新型コロナウイルスが流行し、それがどういうものかを一切検証せずに一方的な報道を始めた。新型コロナワクチンが治験中にも関わらず、一切のリスクの検証や検討もせずに一方的な推奨を始めた。

確かに誰の目にも「テレビは嘘だらけだ」という報道が2020年には行われたが、そもそもテレビが嘘だらけなのは今に始まったわけではない。テレビの中にも真実の内容は混じっているし、単に「年々偏向報道の偏向度合いが激化していった」だけである。

ではインターネットであればどうかというと、インターネットももともと嘘が多い。どこの誰が書いたかわからないものを簡単に発信できるのがインターネットであるため、どこの誰でどんな素性の者なのかを明かさずに、あたかも著名人と対等に著名人を批判することさえ、容易にさせたのがインターネットである。「テレビがダメ」だからといって、「インターネットを信じよう」というのも間違いなのである。

もちろん、YouTubeやSNSだって、嘘はふんだんに混じっている。筆者が書いているものを含め、ブログだってそうだ。怪しいブログなんて世の中にはたくさんある。書籍についても、書籍化されているからと言って真実とは限らないし、ただ単にプロパガンダであるような内容の本だってたくさんある。現に、マルクスの『共産党宣言』などは正に、プロパガンダのための嘘だらけの内容ではないか。

新型コロナウイルスや新型コロナワクチン騒動でとても顕著となったのが、「論文を信じる」といった者も多かったことだ。論文というのも、一体どのような前提で行われたか、検証の方法は公平かどうかなど、様々なものがあり、論文であれば何でも信用できるものでもない。現に都合の悪い結果を隠蔽して都合の良い結果を捏造するような論文も世の中にはあふれている。

そのような中で、「では何をどのように判断していったら良いのか」という考え方を筆者は常々紹介しているのである。それこそがインテリジェンスである。インテリジェンスとは、様々な情報をかき集めた上で、それぞれの情報に濃淡をつけ、真実は何かを見極める能力のことだ。「ワクチンは世界を救う」と言われたらワクチンに飛びつき、「ワクチンは危険だ」と言われたらワクチンを危険視するというのは、単なる馬鹿だ。様々な情報や様々な意見を知性をもって分析して精査しなければ、インテリジェンスとは言えない。

テレビを妄信することは問題であるという意味では「テレビを見ないようにしよう」というのは正しいが、「誰かが言うことを妄信する」という姿勢を変えなければ、例えテレビを見ないようにしてYouTubeだけを見るようにしたって、結局はYouTubeでろくでもないものを妄信することになるし、他の媒体に代えても同じこととなる。支配者はテレビを支配している一方で、その他のメディアも支配しているのだ。結局は問題の本質を何も見ない行動そのものだ。テレビという詐欺師に騙されることはなくなっても、他の詐欺師に騙されるだけであって、別に結果は変わらない。

テレビさえ見なければ問題は解決するわけではない。インテリジェンスというのは、そんなに生易しくたやすいものではないのだ。

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人間の中には悪意の塊のような人もいることを日本人は知らなければならない

日本人は義理人情を重んじる。誠意をもって接すれば、どんな人でも必ず誠意が返ってくると日本人はどこかで信じている。それは日本人だけの社会であれば成立したかもしれない。本来であれば、それが通用したのが日本という国の強さにつながったのであり、特に戦国時代や江戸時代初期は日本がダントツで世界最強の経済力と軍事力を持ち得た証であると筆者は思う。

だが、現代では日本に中国人や韓国人をはじめとして、いろんな国の外国人が定住するようになり、日本人の精神性も大幅に低下した。「誠意をもって接すれば」という言葉がほぼ通用しなくなったのではないかと思ってしまうような人も多くなった。にもかかわらず、未だにかたくなにそれを信じている人が日本人には多い。

世界には様々な人がおり、日本人には想像もできないような悪意の塊のような人もいる。

他人に親切にされても、「ありがとう」という感情を持つと「付け込まれる」と思い、決して恩を感じないような人がいる。弱者に親切にしても何の得もないので、弱者からは搾り取るだけ搾り取ることを当然だと思うような人がいる。自分の私利私欲のためには、他人の物を盗もうが他人を殺そうが何とも思わないような人がいる。誰かの為に何かをしようだとか、公の為に何かをしようという気持ちが全く存在せず、そのように考える人がいることを理解できない人がいる。

このような人が存在することを理解できるだろうか?筆者の周りには、このような話をしても、「そんな人がいるはずがない。そんな話は信じられないから信じない。」というような反応をする日本人が多い。ナポレオンの辞書には「不可能」という文字はない、という嘘か本当かわからない話があるが、正に「罪悪感」や「背徳感」と言ったような言葉が自身の辞書にない人たちが世界にはたくさんいるのだ。

最悪なことに、「正々堂々勝負する人」と「勝つためなら何でもする人」が勝負をすると、大抵は「勝つためなら何でもする人」が勝つ。そして、世界のビジネスではほとんどルールがあってないようなものであり、驚くほどに強者が弱者を喰い物にするのが放置されている。

われわれは好むと好まざるとにかかわらず、このような「勝つためなら何でもする人」で、「どんなに不道徳なことをしても何とも思わない人」が世の中で強い影響力を持っているという現実を受け入れなければならない。

「そんな悪い人がいるはずがないじゃない」なんて信じる人は、巣食われるのだ。

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「グローバル」という言葉は「国際」とは全く意味が違うことを理解しているか?

共産主義者はプロパガンダを流すのが上手い。様々な言葉を「人々の常識」にさせてじわじわと人々の思考回路をむしばんでいく。「気候変動リスク」という謎の言葉も、その言葉を繰り返すことで、「本当に気候変動が起こっているのか」「そもそも気候変動はリスクなのか」を議論させることもなく、とにかく「気候変動リスクに取り組まない者は悪だ!」といったような運動を起こす。

最も人々が気付いていないプロパガンダが「グローバル」という言葉だろう。

例えば、われわれ日本人が海外で仕事をするとき、通常であれば「海外ビジネス」や「国外ビジネス」、「外国ビジネス」といったような言葉が通常は使われるべきであり、それらの言葉は「日本ではない国での取引」といったニュアンスで使用される。この言葉が使われる意図としては、「日本において日本人と取引するのとは異なり、海外/外国では法律も異なる、文化も異なるということを念頭に入れてビジネスをしなければならない」といったことが背景にある。

しかし、このような会話をする際、近年「グローバル」という言葉が使われるようになった。つまり、自国だけでは完結せず、他国もかかわる場合、これまでは「国際」とか、「国際的」という言葉が使われていたにも関わらず、「グローバル」という言葉が使われるようになった。これは正に、グローバリストたちが「グローバル」という言葉の使用を広めたからだ。

では、「グローバル」と「国際」という言葉の違いは何か。

「国際」というのは、国家間の文化の違いなどをそのままに、異文化同士で交流することを念頭に置いている。つまり、「国際」と言った場合には、異なる国同士の付き合いといったニュアンスがあるため、「お互いに文化や伝統、国の事情などの違いがあるので、それを前提に上手くお付き合いをしていきましょう」という意味が込められている。

それに対して、「グローバル」というのは地球全体で一つという意味だ。つまり、世界のどこでも一つのルール、一つの価値観で通すという意味がある。正に、グローバリストが目指す、「世界は一つ」「ワンワールドオーダー」「世界統一政府」というものが根底にある。

「国際的企業」と「グローバル企業」とでは意味が全く異なる。「国際的企業」の場合は、世界の様々な国で活躍している企業であり、それぞれの国のそれぞれの文化や事情を考慮して活躍する企業の事である。それに対して、「グローバル企業」と言った場合には、世界を一つの市場とみなし、世界で同じルールを適用するため、自然と強者であるグローバル企業が弱小国の市場をむしばむことも厭わないというものだ。

言葉には意味があり、言霊が込められている。「国際」という言葉には異文化を尊重する言霊が込められている。その一方で、「グローバル」という言葉には異文化の存在を否定して踏みつぶす意思が込められているということを知っておこう。

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「共産主義は民主的なものだ!」と言われて即肯定できないあなたは共産主義を理解していない

共産主義は過去の遺産ではない。中国や北朝鮮やキューバなどでは現在も共産主義独裁体制が続けられているもののソ連の崩壊により、共産主義は滅びかけていたと考えられていたように思う。しかし実際には共産主義は全く死んでいない。

日本でもアメリカでも共産主義は、「社会主義」や「新資本主義」、「グローバル」という言葉に変えて生き延び続けている。世界で最も影響力を持つ国際金融資本であるグローバリストが世界中を共産主義体制の下で支配しようとしているため、われわれは現在、ありとあらゆるところで結果的に共産主義体制に置かれているといえる。それゆえ、われわれは共産主義について良く知らんければならないのだ。

共産主義とは共産主義思想によって作り上げられた独裁体制である。指導者と言われる独裁者による独裁体制なのである。独裁体制であるから、共産主義は当然に民主主義とは違う。だが、共産主義者は「共産主義は民主的なものだ」と説明する。そして共産主義者は、あたかも民主主義を語るかのように共産主義について語る。

さて、あなたは共産主義における「民主的」という意味をご存じだろうか。共産主義者たちの「民主的」という考え方を理解しておかなければ、共産主義者たちによって簡単に騙される可能性があるので、共産主義者の詐欺に騙されないためにも是非とも知っておいていただきたい。

共産主義における「民主的」とは、指導者を選ぶ際に労働者階級(つまりは、奴隷民)全員の「民主的」総意が「集中」することで、指導者が労働者階級の意思を集約的に吸い上げて反映させるという考え方をとる。結果的には指導者が独裁をするわけだが、指導者による独裁は、「共産主義という民主集中制によって、民主的に民意が反映された結果によってなされるものである」と考えるのである。

この考え方を理解できるだろうか?この考え方の詐欺的要素を瞬時に感じることができる人は、共産主義者の様々な論理に騙されることはないだろう。だが、この考え方は多くの人を騙し、共産主義を崇拝させるに至っている。

共産主義者は目的のためには手段を択ばない。とにかく「独裁」という目的を達成するためには、ありとあらゆる言葉の詭弁を使い、人々を騙す。騙されて気付いた時には完全にゲームオーバーになってしまっては、われわれは独裁体制における奴隷にされてしまっているということなのだ。

共産主義者の攻撃の手は様々な詐欺の手法が使われているため、慣れれば判別が容易である。多くの人が共産主義者の嘘に気付けるようになってほしいと願うばかりである。

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目くそ鼻くそを笑うシリーズ:開講のお知らせ

人は皆、自分は他人より優れていると思いたがる。自分はいつも、「平均よりは上である」と思いたがる。自動車を運転するドライバーに「あなたは平均的なドライバーよりも運転が上手い方だと思いますか?」というアンケートを取ると必ず、7割以上の人が「はい」と答える。通常、平均点あたりの人はたくさん集中していて、それよりも上、つまり、「平均点より上」の人は2割か3割しかいないはずだが、その2割か3割に入っていると思っている人が、なんと7割もいるという結果を表している。

人間は物事を見るときに必ず自分に都合の良いフィルターを通してみる。例えば、自分を含めて批判されていたとしても、自分は批判の対象ではないと思ったりする。「公道を歩くときにマナーの悪い人が増えた」と言われると、「自分はマナーの悪い人の中には入らない」と頭の中で処理した上で「(自分は入らないが)マナーの悪い人が増えた!けしからん!」と思うわけだ。そして、恐ろしいことに、具体的に批判されていることを自分がしてしまっているにも関わらず、殆どの人が棚にあげてしまうのだ。

こういう話をすると、ざっくり分けて年配の人は「昔は皆、礼儀正しかった!最近の若者はなってない!」と言い、若い層の人は「昔話ばかりして、年寄りは鬱陶しい。昔は良かったかどうか知らないが、あなたたちは今、全く礼儀正しくないではないか!」という。筆者は両方の立場を同時に体験したことがないのでわからないが、ほぼ確実に皆、自分たちの事は美化して評価しているに違いない。つまり、年配の人は自分たちの価値を美化して若い人たちにマウンティングをして若い人たちを馬鹿にしている。一方で若い人たちは年配の人たちの年寄り臭い説教を聞きたくない。要は、「どっちもどっち」なのだ。

そして人は他人を馬鹿にして優越感を感じて満足する。そうして目の前にある問題に目をつむる。臭いものには蓋をし、においを隠す香水を振りまいて、自分がいかに臭くなっても、既に気付かないほど鈍感になっている。そういった自戒の念を込めて、先日、「目くそが鼻くそを笑える時代が来た」という記事を書いたが、これがなかなか一部で好評だったようだ。

大手メディアは世の中の本質的な問題を提起して改善を促すということはせず、「目くそが鼻くそを笑う対立構造」を作って、われわれから世の中の本当の問題を隠蔽する。そのような危険性を面白おかしく指摘するシリーズとして、「目くそ鼻くそを笑うシリーズ」を初めていきたいと思う。そのような見方をすることで、社会の問題を振り返る目をつけ、自らの行動を正す人が増えることを願っている。人間の基本は「人の振り見て我が振り直せ」なのだ。

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物理数学シリーズ③:専門家ってどんな人たち?

専門家というのはどういう印象を持つだろうか。日本においては、専門家と言われる肩書の人に対する信頼度が信じられないほどに高い。医学博士、国際政治学者、評論家、大学教授、などなど。それらの者がたとえどんなにいい加減な研究をしていようが、どんなに酷い嘘つきでも、立派な大学を出て、立派な肩書を持っていると、途端に信頼でいる専門家のように見える。

筆者は大学、大学院と理系に進み、専門分野の研究室に3年間所属した。その後、「金融経済研究所」とか「金融研究センター」と言われるような、いわゆる金融業界における、いわゆる「金融経済の専門家」達が集う研究所に5年以上在籍した。その中には、日本や海外の超有名な大学や大学院を卒業し、何年、何十年と研究所所属の人たちに囲まれてきた。その経験から、世間で専門家と言われる人たちの多くが、如何に信用が置けないかという姿を現実として見てきた。

どの分野においても、学問の基礎中の基礎というものがある。一般人からすれば、「有名大学を卒業しているのだから、基礎中の基礎は当然に身に付けた上で、とても難解な専門知識を身に付けているのが専門家」だと思ってしまうものだが、恐ろしいことに専門家のほとんどは「基礎中の基礎」について全くの無知なのである。それだけではなく、自分が専門とする分野の局所的な部分にだけ焦点を当てて物事を見るので、とんでもない曲解をして本質を見落とすことが多い。にもかかわらず、人一倍、いや、人万倍プライドが高いため、自分の欠点、見落とし、ミス、誤りなどについては決して認めない。

これがどのようなものか、簡単な例えを用いて説明しよう。公道の車の法定速度を考える際に、広くて視界の良い道路を走る場合と、狭くて視界の悪い道を走る場合、細くて急カーブの多い道を走る場合、歩行者が全くいない道路を走る場合、歩行者が多い道路を走る場合など、どのような道路を走るかによって、制限速度の考え方は変わる。その上、濡れた道路や、路面が凍った道を走ると滑りやすいことを考慮しなければならない場合は、さらに制限速度を考えるときに考慮しなければならない。

この場合、専門家とは例えば、「直線道路の安全性しか知らない直線走行の専門家」、「カーブ走行の事しか知らない専門家」、「急カーブの限界を追求する専門家」などの専門家が一般的なのである。決して、「ありとあらゆる道路コースの形状、路面の状況、見通し状況などを総合的に理解した専門家」というのは、ほぼ皆無なのである。日頃、公道を走っている者であれば専門家でなくても、「たとえ法定速度内であっても路面が凍っていて霧が出ていて見通しが悪い時は危険で、なおかつ細くて曲がりくねった道は相当速度を落とす必要がある」ということがわかるかと思うが、専門家というのは「私は直線距離の研究を何十年もしてきたから、大丈夫なんだ!」とか、「たとえ路面が悪くても30キロ以上減速する必要はないんだ!」とか、平気でおかしなことを主張しだしたりする。そうしたときに、如何に専門家は自分の狭い狭い専門分野の事しか知らず、基本中の基本さえ知らないで研究だけしていることが明らかになったりする。

しかも、始末の悪いことに、彼らの盲点や論理的欠陥について指摘すると、必ず彼らは「キレる」のだ。冗談抜きで、彼らは論理的に自分の考えを見直すことなく、とにかく「キレる」のだ。専門家という名のつく者たちのほとんど全ての者は、自分の狭い狭い専門分野における、いわゆる「お山の大将」であり、砂上の楼閣の「お山の大将」であり、自分が如何に偉いかを示すことに必死であり、「お山」から転げ落ちることを何よりも恐れている。

なので、当然、金を積まれれば、どんな主張でもし始める。新型コロナの騒動で、如何に医療関係者が適当なことを言い始めたことを振り返ってもらえればよく理解できるかと思う。彼らにとって、真実を追求することは全く重要ではなく、如何に自分が「お山の大将」で居続けられるかが重要なのである。

そしてこれも筆者が研究所における専門家に囲まれて10年近くを過ごして実感したのだが、「ほとんど全ての専門家は自分の理論に少しでも欠陥がある」と指摘する者が現れると、全てのエネルギーを注いで個人攻撃を始める。パワハラやセクハラが横行するノルマ主義の営業部門さえ、血の気が引くレベルの人格否定の個人攻撃を執拗なまでに行ってくる。ちなみに、この執拗さに男女差は関係ない。例え攻撃対象が男性であろうが、女性であろうが、関係なく、男性であろうが、女性であろうが、なりふり構わず攻撃する。嫉妬と憎しみなど、人間の強欲の塊が研究所なのだ。

あなたが何か、大切な決断をするときに専門家の意見を聞こうと思った場合には、慎重に慎重に専門家を選ぶことをお勧めしたい。

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嘘や隠蔽は一度始めると更なる嘘や隠蔽をしなければならず、必ずバレてしまうという法則

子供の頃、小さなが小さなを呼び、前についたを隠すためにさらにをつき、がどんどん大きくなり、隠し通せなくなったという経験をしたことは誰でもあるだろう。例えば宿題をやってないのにやったとをつく。部屋の片づけをしていないのにしたと嘘をつく。嘘の種類は何でも良いが、いつまでも嘘をつき続けるのはとても難しいことを子供の時に学ぶものだ。そして大抵、「こんなことなら、嘘なんかつかなければよかった」と学ぶものだ。

嘘には様々な嘘があり、人を幸せにする嘘もあれば、あらゆる破滅を生む嘘もある。たとえ嘘を突き通せたとしても、嘘をつき続けることで信用を失うこともあるだろう。そして、嘘がバレたときの信用失墜は取り返せないものであったりするのだ。

今の世の中は本当に嘘が増えたと感じる。筆者が若い頃は今よりも世間知らずであったために、いろんな嘘に気付かなかったから、そういう印象を持ってしまっているのかもしれない。しかし、例えば医療分野についても、様々な嘘や隠蔽を繰り返すために、様々なことについて「おかしい」と思う人が増えても、更なる嘘をつき続けなければならないために、嘘の規模が増大し続けていることは確実なように思う。

2020年頃から始まった新型コロナウイルス騒動にまつわる嘘は正にその象徴であるように思う。ウイルス性疾患がワクチンなどでは予防できないことなど常識であったにも関わらず、過去のワクチンのデータを隠蔽し、さらに新型コロナワクチンのデータを大幅に隠蔽して「有効性95%!ワクチンに被害者はない!ワクチンで死亡するなど、あり得ない!」というところからスタートして、徐々に徐々にその実態が明らかになっていった。

国家が薬害を隠蔽するときの例に漏れず、あらゆる被害報告がなされても、未だに我が国はそれを一方的に認めていない。ワクチンに関する訴訟が国家賠償責任の追及が明らかに予想されたため、我が国の政府や行政はありとあらゆる手段でもって、ワクチンの被害に対する責任を負わない準備を整えていた。

今、世界中で様々な嘘が指摘されている。巨大企業が儲けるためだけに仕組まれたものや、軍産複合体が儲けるためだけに作られた戦争など、挙げればきりがない。環境問題についても、嘘に嘘を塗り固められていて、それがどのような形で爆発するかを筆者は観察している。環境問題なども含め、一般人の大多数が嘘に気付いて抵抗しなければ、われわれの生活は破壊されてしまう。それゆえに筆者は非力ながら、こうやって日々記事を書いている。

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